自意識の肥大暴走は多分その通りですよね。作家というのはそういう人らだと思います
こうした主人公の人間に対する視野の危うさや歪さの滅びは夏の終わりとして寓意している限りです。
それは文章で、貴殿の言う通り表現芸術として書いたものです。