文學界新人賞152
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
何故小説を書くか、どうして小説家になりたいかを考えてみた。
自分自身のためではなく読者のためだという当たり前のことに
今さらのことのように気付いた。読者に精神的物理的に与える
何かが書かれていることが肝要ということ。世の中の理不尽を
嘆くよりも志の高さが書かれていることが大切だと思っている 「売れたければ」ニーズに従う、語るまでもない
大丈夫かよ 文学も商業主義の最たるものであることに違いなので
世間のニーズに迎合する一方、筆者なりの主義主張と
世界観を両立させることがプロへの道と改めて思った
小説家志望同志のご健筆、栄冠獲得を祈願いたします もし文藝復興といふべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、このこと以外に、 文藝復興は絶対に有り得ない。
横光利一「純粋小説論」1935年4月
結局のところ、一世紀前から文學界の現状は変わっていない。純文学は私小説だけでもなければ、LGBTなどのマイノリティなテーマを扱ったものだけでもない。
どんなテーマでも、どんな内容でも、面白くなければ小説ではない。正統で、端正な文章を希求する文學界であるならば、かかる狭小な概念から脱却して、小説の常道を行って欲しいなと切に思っている。 純文学と大衆文学といふ従来の 曖昧な独善的な枠は撤去するつもりである。探偵小説でもユーモア小説でも、小説なら掲載し たい。
亀井勝一郎「文學界」1947年6月
当時の文學界に掲載されたというのも面白い。一方で、
大衆文学の名称をこゝで消して了つて、小説をもつと自由な目 で見ることから新しく出発しよう。云ふまでもなく、純文学と云ふ古風な名目も一緒に取消す ことである。この区別を、背負つて歩いてゐる間は、文学も、いつまでも行き止りである。
大佛次郎「文藝読物」1948年1月
大衆文学の側からも、同じような動きが出てきた。現在の文学界はどうだろうか。一周まわって似たような現状になってはいないか。純文学というのは、作者の詩がそこにあるかという違いだけで、テーマなどに差は本来ないはずである。
行き止らないようにしたい。 2018年第50回新潮新人賞二次通過(最終候補一歩手前)
13/2099篇
小説を書き始めて一年目。純文学二作目。
今の力で色々推敲したかったけれど、それでは参考にならないので当時のまま。数年後、文學界に出して一次通過?(誌に載った)目安としてどうぞ。
「息子の部屋」約80枚
ある日、息子が人を殺した。
おまけ
昨年、私はこの作品で受賞をかっさらうつもりだった。スポーツ小説だが、スポーツ小説ではなく、くたばれチンカス権威主義者どもというつもりで書いた。
「桜木花道によろしく」まず冒頭のみ
応募時タイトル「臆病な影」
青春時代をバスケに捧げた、すべての無名選手たちに贈る。
https://note.com/uncircle1004 20連続1次落ちの者だが、雑誌に名前が載れば、それが1次通過であろうと、生活の励みになる。
元気になれば、なんでもできる。 やっぱりそんなもんやろ
それなりに小説書けるようになっても一次落ちるしね 年に2回応募の時もあったからまさか20年やってるわけじゃないとは思うが
大した精神力だなぁ、尊敬する 約21連続1次落ちの者だが、最近コツを掴んだよ。
それは旧応募作の最終連絡より前に新作を応募することだ。
そうすると、今書いている作品で勝負しなければならない、というプレッシャーを
感じない。
この数年多作になったから、あっという間に落選が溜まるかもしれないが、受賞の
確率も大きくなる。 20→約21に増えたのか?
受賞作をほぼ読まないという話だったけど、まずはそこからじゃないのかな… 約21は入力ミス。
現代純文学の文章は読みにくいのが多い、と思う。
志賀直哉のような癖のない名文が理想だ。 純文学の作家志望者さんにも多いですね
世界文学全集級の名作=文学と思い込んでるから、古典小説しか読んでいない
そういう方々が書く小説は「ガラパゴス文学」と業界で呼ばれています 約20連続1次落ちの者だが、新潮新人賞の受賞作の冒頭を読んでみた。
甘利(あまり)の読みにくさのために、頭が痛くなった。頭が傾いた。
現ぢ文学の文章が読みにくくなったのは、大江健三郎あたりからだろうか? >>871
もし本当にそんなことになってるなら読み方間違えてるだけだぞ >>872
このレスの方が読みにくいわww古くさくてもはやかびの臭いがするよ
そりゃ新しさが評価される新人文学賞で20連続一次落ちするわけだ
コツがよーく分かった どうして20回も投稿してて一次すら通らんのにドヤれるんだ?反面教師にしてくださいってことか? 志賀直哉でも三島由紀夫でも好きに追っかけてればいいじゃねえか
自分でいいと思ってるならそうしてるのが一番幸せだろうよ わいは三島由紀夫好きやが最近の作家でも芥川賞受賞作ぐらいは目を通してるぞ
文章で言えば村田さんや宇佐見さんのような現代純文学作家の方がはるかに読みやすいよ
>>870は読みにくいんじゃなくて現代純文学に面白さを感じられないだけだろうと思う
その感性では新人賞はまずとれんやろな
アップデートしないと 古井由吉なんかは文章家だとは思うけど、もう古いもんな
読む分には好きでも真似はしないよ 村田紗耶香なんかいつもワンパターンやん
宇佐美は若いけど村田の言う普通なんて子供から見た大人の世界みたいなもんで特に新しいとも思えんし
ああいうのが海外でも受けるのは興味深いけどな その厳しい目を自分の作品に向けることができたらいいのにね
そうすれば新人賞獲るどころか芥川賞作家にもなれるかもしれない
せっかくいい目があるのにもったいない
宝の持ち腐れね 他の作品を批判的に読むのは別に悪いことでもない気がするけど 自分が気持ちよくなりたいがために批判的に読んで批判してるならそれはだめでしょ
こういうワナビ多いが 宇佐美は普通の高校生が読んで下らんと思うレベル
まあ俺も高校生だが その下らんと思うレベルが芥川賞とって50万部も売り上げてるんだがそこんとこどう思う? よかったじゃん!下らんものが売れる世界で評価されなくてさ ワンパターンか、それともそれを持ち味・作風と呼ぶか…
島本理生もなに読んでもおんなじだもんな
でもファンにはそこがいいんだろう ワナビーが批判する時によく使うよなワンパターンって
どこがどうワンパターンなのかを説明できてない時点でそれは批評ではない
ただの負け惜しみ、負け犬の遠吠えでしかない
それこそワンパターンな批判で面白みに欠ける 文学賞スレでワナビー連呼するのもな
まだワラビーの方が可愛げあるっつうやつだわ 子供部屋おじさんの次ってなに?ガチで分からん
教えてけろ 子供部屋おじさんの次は犯罪者予備軍かナマポニートかな ミサンドリーも父子関係の投影でしかないからなあ
ミソジニーが母子関係を原因とするのと同じでさ
親子憎悪の転移を追いかけてても逃避的作品にしかならない
自分の歪んだ親子関係でも見直しなよ
暗夜行路は、あながち過去の話でもない でもさミソジニーってマザコン多くね
いい歳してママの作った料理を食べてママに掃除してもらってママの洗濯した服を着てママに感情をぶつけてバブバブ甘えまくってるやん
でネットで女叩きする そういうミソジニーが多い環境に、なぜお前がいるのか考えてみなよ
自分の狂気すら掘り下げられない胡乱な人間に他人の狂気を掘り下げることは不可能なんですよ >>906
そっちの方が古くね?こどおじが出てくるずっと前から言われてる言葉じゃん 男に対する憎悪を発散してるだけでしょ、ネットで
変なのが居着いたもんだな ミサンドリー(英: misandry)とは、男性への嫌悪あるいは憎悪。男性嫌悪(だんせいけんお)・男性憎悪(だんせいぞうお)などともいう。
ウィキペディア ミソジニーと違って批判され難いからカジュアルにやるんだろうけどな
まともな父親に育てられて男が憎いなんてのは、まずいない
父親の愛情不足、甲斐性なし、DV、性的暴行もろもろ
バカ親父に対する憎しみがミサンドリーの起源、父親紹介してるのと同じ どのレスに対して言ってるんだ?
ミサンドリーがどうとか話題になってなかったと思うが急にどうした大丈夫か? スルーしろってwwwwそんなに刺さったのかよwwww 文芸誌スレも文学賞スレもビタで止まったもんな
よほどクズ親父が憎いんだね、ウケぴっぴ〜ww プロ野球は6チームで優勝を争う
新人文学賞では2000人が優勝を争う
最終に残るのはプロ野球選手になるようなものか
1次落ちワナビは草野球 2次落ちは強豪高校、大学、社会人
3次落ちは育成 その次が支配下選手 そして最終候補は1軍選手
くわしいことは分からないが、こんな感じか 新人文学賞は優勝ではないしただのスタートラインだからどちらかといえばドラフト会議みたいなもんじゃねーの
野球に例えるならな
新人賞に送られてきた原稿を読んでそこの編集者にコイツほしいなって思われたら一位指名で受賞→プロデビュー
でもプロになれたからといってその一発で終わる人もいるし本すら出してもらえない人もいるし
プロ野球に例えるは違う気がするなぁ
新人文学賞をとる=優勝って前提がまず間違ってる 新人文学賞なんてのは、数あるガラクタの中からこれはというものを見出だすだけのものであって、それ以外の何でもない。オープンなリーグやトーナメントによる優勝争いとは違う次元の話。
だからそんなもんさっさと通過してオープンな場に早く着くべきなんだが、これがなかなか一筋縄ではいかない。なかなか引き上げられない原石もいれば、引き上がってしまったガラクタもいるかも知れない。
そういう事例を度々見せられれば、何故俺の傑作が一次落ちなのだ!プンスカということにもなる。 売れればいいんだからね出版社は
文化保存財団じゃない
そうするとちょっと頭の悪い人向けのものが一番売れるその層が厚いから 20代までは若さで少しは優遇されるけど
それ以降は十把一絡げ
結局は作品次第 19歳女子大学生受賞作品!
42歳男性会社員受賞作品!
まぁ売れるのは前者だわな
というより自分でやって思ったが42歳受賞に「!」がつくことがなんか気色悪いわ 若いのが有利ってよりもキャッチーな年齢だと盛り上がる
80歳男性受賞!90歳女性受賞!だとスゲー!ってなるじゃん
中年は微妙っていうかよくあるからいまいち盛り上がらんのだろな おっさんてだけで何か胡散臭いからね
お偉いさんでもなければしみったれた説教聞かされそうで読む前に萎えるし おっさんの書いたエロよりも女の書いたエロの方がいいに決まってんだろ
なおかつ若くて美人なら最高だしビジュアルで売ればその分読者も大勢ついて文壇が盛り上がる
選考委員や編集部も人間だからこれはある意味しゃあないよ
でもおっさんにしか書けないエロもある
送られてきた原稿の中でおっさんの原稿が一番輝いていたら受賞するのさ
要は中身 がっかりレベルの顔面しか応募しないから
誰が受賞しても同じ ションベン臭いJKより川端康成の方がエロスを上手く書けている 若い方が明らかに有利だが
おっさんおばさんも受賞してる事実 >>944
そうなんだよね
おっさんおばさんもそこそこ獲ってる ー沿線の小駅は石のように黙殺された。
ー雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
今では教科書的な表現と言えるが、横光利一や川端康成が出てきた頃はどういう受け止め方だったんだろうか。
願わくばこのような、正統でありながら清新な描写とスタイルで、現在の文壇に一石を投じてみたい。 横光利一(よこみつりいち)、本名は横光利一(よこみつとしかず)。
親からもらた名前をかっこよく変えたかったのだろうか?
「としかず」で良かったのではないか?
市議会議員候補みたいな感じで、悪くない。 昭和初期の文壇では横光は大きな存在で、川端の前を歩いていた。横光なきあとの戦後、川端は雪国、古都、山の音と名作を世に送り出し、ノーベル賞作家までになった。
川端は日本語の美しさという意味では一番だが、作品の魅力にはいろいろある。詩、物語、文体。主にこの三つと思うが、どうだろう。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。