>>947
ありがとうございます。あなたが枠組みを書いてくださったので、記憶がよみがえりました。
> ゾシマ長老の病状は重く、会合のあったときには自分の死期を明らかに悟っていた様子でした。
ゾシマの「病状は重く」「自分の死期を明らかに悟っていた」ここがきわめて重要でないか。ゾシマがアリョーシャに語る、ひとことひとことは、皆ことごとく「遺言」である。一見して笑顔で機嫌よく見えたとしても、冗談を言っていたとしても、その外面に騙されてはならぬ。
> ゾシマ長老がミーチャの足元にぬかづいたのもミーチャの運命を暗示しているようですが、
----------------------------------------------
七 野心家の神学生
アリョーシャは長老を寝室へ助け導いて寝台の上へかけさせた。
それは、ほんのなくてはならぬ家具を並べただけの、ささやかな
部屋であった。寝台は幅の狭い、鉄製のもので、その上には蒲団
の代わりにフェルト毛布が一枚だけ敷いてあった。片隅には、聖
像の前に経机がすわっていて、十字架と福音書とが載せてある。
長老は力なく寝台の上に腰をおろしたが、その眼はぎらぎらと光って、
息づかいも苦しそうであった。坐ると、彼は何か思いめぐらすように、
じっとアリョーシャを見つめるのであった。 ドストエフスキーで、度々目にするヴォルテールを一冊読んでみようと思い、寛容論を選んでみた
世界史のように長々しい文章と説話を読んできて、「徳は知にまさるべし」の章に着いた時は、プラトン(国家)の「思惑と知識は別物である」を想定した
そして、カラマーゾフの兄弟でアリョーシャはコーリャに「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったが、人類を愛していた」の箇所を思い出し、この言葉の意図に近づけたと思っている
ぼくたちは、「卵を割るのには大きい端か小さい端か」で争うように、同じ結果を求めるのにやり方が違うと争っていると思う
何でも揉めている問題は果たして、時には虐殺をも必要とするような問題なんだろうか、血でしか贖えないような問題など存在するのか、
なんて勝手に思った事書いてみた
「行ってこい、行ってこい、わしのところにはポルフィリイが
ひとりおったらたくさんじゃで、おまえは急いで行くがよい。
おまえはあちらで入用な人じゃ、僧院長のお食事《とき》へ行
って給仕するがよい」
「どうかお慈悲でもって、ここにいさせてくださいまし」と、
アリョーシャは祈るような声で言った。
「いや、おまえはあちらのほうでよけい入用なのじゃ、
あちらには平和というものがないからなあ。
給仕をしておったら、何かの役に立とうかもしれぬ。騒動が始
まったらお祈りをするがよい。それにな、せがれ(長老は好んで
彼をこう呼んだ)このさきここは、おまえのいるべき場所では
ないぞ。よいか、それをよく覚えておるがよい。神様がわしを
お召し寄せになったら、すぐにこの僧院を去るのじゃぞ。すっかり
去ってしまうのじゃぞ」
アリョーシャはぎくりとした。
「おまえはなんとしたことじゃ? ここは当分おまえのおるべき場所でない。
おまえが俗界で偉大な修行をするように、今わしが祝福してやる。
おまえはまだまだ長く放浪すべき運命なのじゃ。それに、妻も持たねばならぬ。きっと、持たねばならぬ。
そして再びここへ来るまでには、まだまだ多くのことを堪え忍ばねばなりませんぞ。
手作業で改行するしかないのかね?「長すぎる行があります」エラーで苦しんで
何か策があるかググってるが、理解できん。引用箇所を絞るべきだろうが、
読み手が、必ずしもカラマーゾフを暗唱するほど精通してるとは限らないと思い。
いつもカキコ作成完了後に、2ちゃんの形式に合わせる部分で、苦労する。
カキコといっても、ほとんど引用だが。しかし単純コピペではない。おれの魂に響く米川文でなければ、納得ゆかん。
>アリョーシャはコーリャに「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったが、人類を愛していた」
あったね! まるで「自分が実際に経験したこと」「自分の青春時代の一こま」のように感じる。自分がツレと会話したかのような、混乱した記憶だ。
「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったけど、人類を愛していたよね!!?」
してみると、君と僕は、青春時代を共有したのかね?
なんスレか前に、まだカキコしない前に、「目が悪いから読めない」と愚痴ったら
誰かが一喝してくれた。それをいま感謝す。困難があっても、無理やりでも書けばいいんだ!
なぜなら、「書くに値するからだ!」「読むに値するからだ!!」カラマーゾフは。
世界的に評価が高いから、というのもある。でもそれ以上に大事なのは、おれが思春期に読み込んだからだ!
すなわちそれは、自分自身の青春の日記帳だからだ!!
さっきのゾシマのセリフ、途中なんだ。これからが大事なんだよ。
このままだと、無際限に、だべっちゃうから、やめるよ?
だいぶん先になるけど、カキコすんね。
みんなのカキコ楽しみにしてるから!!
面白い解釈だか、きっと、読んだ本が同じだったか、傾向で同質の本を読んでいたのか
ただ解釈からくる嗜好がにているんだろうか
>>969
ミーチャが遅れても待ってただけは待ってるよ 教会的社会裁判 云々の部分が、よくわかんない
誰かが解説してくれたらうれしい
>「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったけど、人類を愛していたよね!!?」
してみると、君と僕は、青春時代を共有したのかね?
ああこれは、あまりに遠い昔に読み込んだものだから、書物の中の言葉ではなく、このセリフを実際に自分が言ったものと感じてしまったんだ!?
「どうして君は、このセリフを知っているんだ?」と。
ごめんね。あまりに気が狂ったカキコだな。
気になる箇所が似てるね
人によってスルーしてる言葉が、自分には凄く気になったりする 不思議だ
>>963
>教会的社会裁判 云々の部分が、よくわかんない
>誰かが解説してくれたらうれしい
誰の、どの辺の事? >>965
> >教会的社会裁判 云々の部分が、よくわかんない
> >誰かが解説してくれたらうれしい
> 誰の、どの辺の事?
僕が前引用した、下の部分さ
-----------------------------------------------------------------------------------------------
「この人の至極珍しい論文の話をしておるところでございます」図書係の高僧ヨシフがイワンを指しながら、長老に向かってこういった。
「いろいろ新しい説が述べてありますが、根本の思想は曖昧なものでございます。この人は教会的社会裁判とその権利範囲の問題について、一冊の書物を著わしたある聖職の人に答えて、雑誌に論文を発表されたので……」
「残念ながら、わしはその論文を読んでおりませんじゃ。しかし話はかねがね聞いておりましたよ」長老はじっと鋭い目つきでイワンを見つめながら答えた。
「この人はきわめて興味深い観点にたっておいでです。」と図書係の高僧は語をついだ。
「つまり、教会的社会裁判に関する問題において、国家に対する教会の分離をぜんぜん否定しておられるらしゅうございます」
「それはめずらしい、しかしどのような意味ですかな?」と長老はイワンに尋ねた。 <ヴォルテールはあまり神を信じていなかったが、人類を愛していた
原文は青空にないのでうろ覚えですが、このあとに、そのため、その愛は不十分だったようですと続くはずです。
神を信じなければ愛は不十分というところには人によってはキリスト教徒の傲慢と見る人もいるかもしれない。
そういう意見もあるでしょうが、私は違う意見です。
アリョーシャは人あたりよく謙虚なのに、こういう問題では大胆に本質を掴もうとするのが面白いですね。
<教会的社会裁判
原文まで引っ張り出して色々あたってみました、久々にちょっと勉強した気になりましたw
裁判は私たちの理解では例外なく社会的なものですから、社会裁判とは不自然な用語ですね。
教会的というところは教会という単語の副詞で、ロシア語はあらゆる単語が形容詞や副詞になり、米川正夫訳ではそれを〜〜的とすることが多いです。
直訳ですがそれで原文のニュアンスは崩れない。日本語の表現としてはやはり硬いので、亀山郁夫はこの部分でずいぶん苦心したんじゃないですかね。
ロシア正教のことには詳しくないですが、教会には教会の法というものがあって、それは国家の定める法律とは別のものです。
イヴァンの議論から察する、イヴァンが論駁した元の論文は、カトリックでいうところの教会法の適用範囲を論じたものだったでしょう。
それに対するイヴァンの主張は簡単にいうとそもそも論です。
国家が教会の役割をするようになることが理想で、理想の実現のために努めなければならない。
それがかなえば「教会と国家という別個な二者の本質の混淆」はおのずと解消される、ざっくりいえばこうなるでしょう。
このスレでも時々いますし、詳しい人がいれば正確なところを教えてくれるかと。
>>967
確かに、理神論で有神論ではないために、ヴォルテールはアリョーシャから「あまり…」と、見られてる
けれども、かれの著作内では、はっきり神を認めてると断言してるし、ぼくも読んでてそう思った
「戦争や殺戮はなくならないのかもしれない。曲がりなりにも現在が平和ならば、そんな時こそお互い憎まずいよう」
「この本を読んで、読書が少しでも人に優しくか寛容かになれる事を願っている」
ぼくは読んでみて、ヴォルテールは、信仰も人類愛も十分だと思った
>アリョーシャは人あたりよく謙虚なのに、こういう問題では大胆に本質を掴もうとするのが面白いですね。
本当にそうだよね 静かに物言わずかとおもうと、誰よりも本質をついてくる
そして、個人的にはイワンに惹かれるけれど、実践すべきはアリョーシャだろう >そのため、その愛は不十分だったようです
そうです、そうでした。脳から検索・引用とはさすがです。
>>968
> ぼくは読んでみて、ヴォルテールは、信仰も人類愛も十分だと思った
実際に読んだあなたには誰もかなわない。先のベーコンの彼の場合といっしょだ。歴史上の偉大な思想家であるから、ヴォルテールにせよベーコンにせよ、ぼくたち凡愚には到底考え及ばない思想の宇宙があるのはまちがいない。
とはいいながら、僕らが愛し信頼するアリョーシャが「その愛は不十分だった」というなら、スンナリ信じてしまう。 >裁判は私たちの理解では例外なく社会的なものですから、社会裁判とは不自然な用語ですね。
教会的というところは教会という単語の副詞で、ロシア語はあらゆる単語が形容詞や副詞になり、米川正夫訳ではそれを〜〜的とすることが多いです。
あなたの文に学んで考えると、「教会社会における裁判」みたいな?
>イヴァンの議論から察する、イヴァンが論駁した元の論文は、カトリックでいうところの教会法の適用範囲を論じたものだったでしょう。
それに対するイヴァンの主張は簡単にいうとそもそも論です。
国家が教会の役割をするようになることが理想で、理想の実現のために努めなければならない。
まとめ、ありがとう。理解に資した。
それの意味するところは、カラマーゾフの第六編、アレクセイがまとめた「ゾシマの説教」の中に、明快に説明されていたと記憶。
※カラマーゾフを語るにあたっての2ちゃん論
2ちゃんでは、顔と顔を合わせて、しゃべってるのではないのである!
文字だけなのである。相手の考えに反駁しよう、それは違う!とおもったときに
衝突を恐れれば、無難な、相手の気持ちに合わせたカキコしかできなくなるのである!!
むしろ衝突前提にカキコすべきである。そのためにこそ
「オレお前」は発明された。これは大いなる知恵である。
もう少し補足すると、教会的社会裁判を原文にあたると、
церковно-общественном суде
となります。あえて柔らかく訳すなら、教会社会における裁判となります。
この部分はちょっと直訳しすぎですね。ただ、同じルールで全文を訳しているからこその米川訳のリズムなので、ここだけで訳として悪いとは判断できません。
日本語として柔らかく訳すことだけ考えて訳し方が一定でなければ、文章にも躍動感がでない。
それで、церковно-общественном судで検索してもカラマーゾフの原文しかヒットしないのをみるに、こういう語彙があるわけではないようです。
おそらくЦерковный суд(教会裁判)のことでしょうが、日本語でこれを解説してるところはぱっとあたるだけではみつかりません。
ロシア語のWIKIはちょっと専門的な用語が多すぎて私の手におえません。
正直歴史にも正教にも詳しくないもので、おそらくカトリックの教会法に準ずるものがあり、また教会内に裁判がある、くらいしかわかりませんね。
ちょっと脇道にそれますが、今年四月にロシアでエホバの証人が過激主義団体に認定され、活動が禁止されました。
エホバの証人の印刷物でロシア正教の教理を批判したことが原因です。
今のロシアでも政治と宗教の関係は密で切り離せないもののようですね。
例えば裁判において,国家と教会の間の妥協は厳密には不可能である。教会は国家
の一部であるべきではなく, 反対に,教会こそ自分 の中に国家全体を含むべきである。
イヴァンはさらに,もし一切が教会となれば,教会は犯罪者を流刑や死刑にせず,単に破門するにとどめるであろうこと,そうなれば犯罪者は人々から離れるだけでなくキリストからも離れなくてはならないこと,
しかし現在の状況では犯罪者は刑罰を受けても,自分は盗みをしただけで教会に叛くわけではないと考えて反省しないことを述べる。
イヴァンは国家と教会の関係というヨーロッパの歴史上の大きな問題を扱うにあ
たって,主に犯罪や裁判の問題から考えている。
-------------------------------------------------------
※コメント
カラマーゾフ本文からそのまま引用されてるみたい。いまコメント思いつかないがゆえに、オレもそのままコピペ。
>ただ、同じルールで全文を訳しているからこその米川訳のリズムなので、ここだけで訳として悪いとは判断できません。
日本語として柔らかく訳すことだけ考えて訳し方が一定でなければ、文章にも躍動感がでない。
-----------------------------------------------------
あなたも米川?そうです。まさにリズムであり躍動ですよね!とはいいながら、他の訳文から入った人もいるわけで、押し付けるわけにゆかんし、もどかしいところだよね
>>968
>アリョーシャは人あたりよく謙虚なのに、こういう問題では大胆に本質を掴もうとするのが面白いですね。
本当にそうだよね 静かに物言わずかとおもうと、誰よりも本質をついてくる
そして、個人的にはイワンに惹かれるけれど、実践すべきはアリョーシャだろう
きみぼく、あなたわたし、オレお前―――― どれを使って呼びかけようか迷ったが
「あなた」にする
あなたは「どうゆうところが」イワンに惹かれるの?
ところで、イワンとアリョーシャの違いはなんだろう? >>972
反駁する者は、相手を納得させるか、もしくは第三者が納得できるだけの理屈を述べなければいけない、これは自分で心掛けてる 特に主観を言う時は必ず
論には論を付けて返す、とても単純だけど重要だよね
2chで見れば、他のスレッドと比較するならば、ドストスレは結構いい方になるんじゃないかな
対立の中にも、相手を論理的に認めてる人もここではよく見かけるし
言い方は悪いけど、人格否定と嘲笑で反駁した気になってる自惚れ屋には口論こそ望ましいし、2chスレにはとて多くいるしね
もちろん、あなたのいうと通りに、衝突を恐れる事は愚かだし、衝突しなければ止揚はない
まるで無神論者が一番の信仰者に変わるように
ちなみに、キリーロフが有神論者になったら最高のキャラクターなのに、って思うんだ >>977
>あなたは「どうゆうところが」イワンに惹かれるの?
>ところで、イワンとアリョーシャの違いはなんだろう?
イワンに惹かれる理由は、できる限り簡素にいうと、自分がいった理論に自分が悩んでる所かな
肯定も否定もできず、解決がない
神がいなければすべて許される。なんていっといて、神の有無善悪に悩んでる
「本当に人間味があって」ひかれるんだ
そこがアリョーシャとの違いでもある
アリョーシャは、ぼくにとっては優し過ぎるし、目指すべきでも、自分には近くに感じない
彼の悩みは高すぎて共感に欠ける(自分にはだけど)
呼ぶ方のご配慮ありがとう >>973
その話にある、一つのキリスト教の宗派が禁止された現在のロシアは、まさに「教会が国家に変わる」理論の正反対を行ってるね
教会を国家の母体とする事が正しいならば、国家は宗派に干渉すべきではなくなる
そして、教会が国家を内包するべきだっと言った真意には、善悪(倫理)として犯罪を抑制するにはキリストの救いが必要条件とした
宗教をあまりに政治化してしまうとまさに以下にある、
「しかし現在の状況では犯罪者は刑罰を受けても,自分は盗みをしただけで教会に叛くわけではないと考えて反省しないことを述べる。」
これを進んでやるようなものだよ >そのため、その愛は不十分だったようです
さすがに自信がないですが、この台詞のときアリョーシャは顔を赤らめていたのではないでしたか。
思想にかぶれた青二才がいうようなことをいってしまったことへの羞恥かと、台詞だけとれば考えるのが普通でしょうか。
しかしこれはアリョーシャですから、分不相応なことをいったという意識があったと考えるのが妥当でしょう。
たとえば、私はそういうところに出くわしたことはないですが、ドラマか何かのように、始終「私を愛してる?」と相方に問い続ける女の子がいるとして、
その子にとって十分な愛とはどのようなものでしょう。
あえてそういう視点に立って、宗教にとっても人間にとってもつねに誠実でありつづけるアリョーシャにとって十分な人類への愛とはどのようなものでしょう。
そもそも、敬虔なキリスト教徒であればその愛が十分になるのでしょうか。
もし重く考えようとすればこの問題はそう簡単には片付きませんし、議論にはしっかりとした前提が必要です。
ですがこの部分は軽く考えていいと思いますね。
アリョーシャの台詞に意味深長なところはありません。コーリャの背伸びした台詞にたいして、真面目に受け答えしただけだろうと思います。
>>980
> 「しかし現在の状況では犯罪者は刑罰を受けても,自分は盗みをしただけで教会に叛くわけではないと考えて反省しないことを述べる。」
-----------------------------------------------------------
この人たちは 僕の運命のために,僕の養育のために,僕の教養のために
,僕をよくするため,僕を人間にするために,何一つしてくれなかった。
この人たちは僕を食べさせもせず,飲ませもしなかった。
裸で牢獄にいる僕を訪ねもしなかった。そして僕を懲役に送ることにした。
僕はこれで勘定を済ましたから,今では彼らに少しも負うところが無い,
永久に誰にも負うところはない。
彼らも悪人なら僕も悪人になろう。
彼らも残酷ならば僕も残酷になろう。
誤れる裁判、フェチュコーヴィチの弁論より
--------------------------------------------------------
この気持ち、痛いほどわかる。というより、ほとんど大半の犯罪者は、皆こう感じているのではないか??
社会も2ちゃんねらーも、ときに地獄の側面を見せないか?
孤立し、犯罪に近縁となったものにとって、社会的弱者、重篤な病で死に近づいているものにとって?
(作文を論理的に書けません。が、気にせずそのまま投稿します) ミーチャの気持ちを推定した,この弁護士の言葉通りに
まったくそのまま同じに、自分も考えたものです!
>>981
果たして問いにある「前提」になるかはわからないけど、アリョーシャの愛については一つの傾向がある
それは常に聞き手であった、ということ
有名な大審問官もイワンの聞き手であり、ゾシマからは説話の聞き手、グルーシェニカやラキーチンやパイーシーやもちろんフョードルとミーチャも
聞き手に徹して、相手を肯定してあげている
セリフを注意して読むと、アリョーシャは結構相手の言った事を復唱して、自分の言葉で言い直してるんだ(フョードルとの会話は特にそう)
「相手を肯定する事が、アリョーシャの愛」ではないだろうか?
だから、キリスト教徒と言うだけで、侵害するキリスト教徒なら愛とは呼ばないだろうね >>982
>彼らも悪人なら僕も悪人になろう。
>彼らも残酷ならば僕も残酷になろう。
人間的に、もしくは道徳的に間違っていると言われるだろうけど、ぼくもまったくそう思う
安易でとても受け入れやすいけど、スメルジャイコフになりかねないね >>984で言っといて思ったんだけど、
「相手を肯定する事が、アリョーシャの愛」ならば、コーリャに対しては、自分の意見を意外と述べている
ここには、アリョーシャにとってコーリャは他とは違う存在を示しているように、思えてならない
続編があったらと、本当に思えるよ >>986
> 「相手を肯定する事が、アリョーシャの愛」ならば、コーリャに対しては、自分の意見を意外と述べている
(アリョーシャはいっさいにおいて受け止めると、万事につけてあなたに譲歩すると
いう。しかし「根本の問題は別ですよ」と)
「アリョーシャ、あなたはわたしに従うつもりなの? そんなことも前にちゃんと決めておかなくちゃならないわ」
「僕は、喜んでそうしますよ。だけど、根本の問題は別ですよ。根本の問題については、もしあなたが僕に一致しなくっても、僕は義務の命ずるとおりに行なうから」
中略
....もっとも、わたしはひどく立ち聞きしたくてたまらないんですが(それはわたしにもわかっています)、でもやはりしませんわ。だって、それが卑しいことだってあなたはおっしゃるんでしょう。今、あなたはいわばわたしの神様みたいな人よ。 「ところがね、今そのうえに、僕の大切な友だちが行って
しまおうとしているのです。世界の第一人者がこの土を見
すてようとしているのです。僕がどんなにこの人と精神的
に結びついているか、それがあなたにわかってくださった
らなあ! あなたにわかってくださったらなあ! しかも、
僕は今、たった一人でとり残されようとしているのです……
-----------------------------------
長文引用どもw アレクセイとイワンの最大の違いはココだと思う↑
> ここには、アリョーシャにとってコーリャは他とは違う存在を示しているように、思えてならない
コーリャは未来だから!
>>979
> イワンに惹かれる理由は、できる限り簡素にいうと、自分がいった理論に自分が悩んでる所かな
> 肯定も否定もできず、解決がない
> 神がいなければすべて許される。なんていっといて、神の有無善悪に悩んでる
> 「本当に人間味があって」ひかれるんだ
> そこがアリョーシャとの違いでもある
> アリョーシャは、ぼくにとっては優し過ぎるし、目指すべきでも、自分には近くに感じない
> 彼の悩みは高すぎて共感に欠ける(自分にはだけど)
--------------------------------------------------------------------------------------------
気取った言葉はやめる
イワンもアリョーシャも、ドストの脳から出てきたのである!
僕達は(君と僕は。イワンとアリョーシャじゃないよ? 当たり前かw)
ぜんぜん違う人間なのに、同じようにドストとカラマを熱愛するんだろうな!?
そして、確かまったく同じ翻訳テキストを読んだのに、君はイワンを「人間味があってひかれる」という。
ぼくは、アリョーシャに親しみを感じる。
この違いは、どこから来るのかな? この違いこそ、大事だと思う。
----------------------------------------------
いまこのスレで3人くらいに減っちゃたね? アラシ君さえいなくなったね。
この3人という数は... 実に素晴らしいね。このような魂の著作を取り扱うには、丁度いい。
この読書会において、きみらふたりを自分自身と同じくらい信頼している。カラマーゾフの精神的遺産を継承していこう。 <アリョーシャ
まず、アリョーシャが常に聞き手になっていることは、小説の中でアリョーシャがそういう役割を担っていることも差し引いて考えるほうがいいでしょうね。
イヴァンもそうでしたし、カーチャも、グルーシェンカも、コーリャもまたそうで、カラマーゾフの多くの登場人物がアリョーシャと話をすることを求めました。
おそらく、違うことを仰りたいのだと思いますが、ただ相手を肯定するだけの人はつまらないものです。
アリョーシャは相手の問題を自分のことのように考えることができたし、場合によってはあえて相手の意見を否定して核心に迫ろうとします。
カーチャとのやりとりがそうですね。現代ふうに言えば、アリョーシャにはそれだけの大きな器があったということでしょう。
最初の章を見れば幼いころから誰であれアリョーシャを愛さないものはなかった、そういう説明があったかと。
小説としてはありがちな設定にみえるので見逃してしまいがちですが、本編をとおしてみれば、実際アリョーシャが大きなギフトを与えられて生まれた人だとわかります。
依然由木康さんのヨハネの福音書解説で見たのですが、キリストは神の子であり、また人間でもあった。
では人間であるところのイエスキリストの他の人とはなにが大きく違ったのか、というのを語っていましたね。
人間イエスキリストが決定的に人と違っていたのは、弁舌の才でも、独自の思想でも、旧約の言葉を昇華するアイデアでもなく、
あらゆるものを愛することができた、という一点です。
人間の愛には限界があります。しかしイエスキリストの愛には限界がなかった。
キリストは普段は控えめに、隣人を自分自身のように愛しなさいと教示しましたが、自身は自らの敵さえ自分以上に愛することができた。
アリョーシャがそれほどの偉人だといいたいのではなく、たくさんのものを愛しうるということは、とても大きなギフトだと言いたいのです。
誰からも愛されるものは、誰をも愛せる人だけです。
三兄弟のうち誰に共感を覚えるかというのは、人によってずいぶん違いますね。
私もイヴァンが人間くさいというのはとてもよくわかりますし、正直棄教と信仰とのあいだで立ちつくしているイヴァンについてはもどかしいとか、もう少し頑張れないかと思ってしまう。
これは私が、イヴァンのように思想的な問題を深刻に抱えたことがないので、共感が薄いのかもしれません。
アリョーシャの行動原理のようなものには、強い共感はありますが、これはかなわないな、と思うことが多い。
感覚的にはこの二人ともに少しづつ共感を覚えますがややイヴァンより、という感じかな。
そういうチャートがあるわけではないので、どっちよりと言ってもあまり意味はないですが。
ミーチャについては正直全く共感できないですね。どうあっても自分がミーチャのように軽薄にも、勇敢にもならないだろうと。
0992吾輩は名無しである2017/06/20(火) 00:57:28.78ID:imL/TP/v
そろそろ1000か
ここは消費がいい
悪霊でチーホン神父が聖書の引用を使う
ヨハネのもく
「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。 」
途中で押してしまった
悪霊でチーホン神父が聖書の引用を使う
ヨハネの黙示録かな
「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。 」
スタヴローギンに言うセルフだけど、ミーチャにあて嵌るよね
卑劣と高潔が共存するキャラクター
携帯だからか次スレッド建てられなかった エラー?
建てられる人はよろしくお願いします
この際なので言っておこうかな。
次のスレッドではこういう形で自分の意見を言わないかもしれません。
私が沈黙するのは、自分の愛の限界を意識するときです。
なんて、かっこつけてみたりして。おつかれさまでした。
スレ出来てた ありがとう
あなたの意思は理解したし、沈黙の意味も分かる気がする 気が向いてタイミングだったらまたレスしてね
>>990
> まず、アリョーシャが常に聞き手になっていることは、小説の中でアリョーシャがそういう役割を担っていることも差し引いて考えるほうがいいでしょうね。
> イヴァンもそうでしたし、カーチャも、グルーシェンカも、コーリャもまたそうで、カラマーゾフの多くの登場人物がアリョーシャと話をすることを求めました。
>
> おそらく、違うことを仰りたいのだと思いますが、ただ相手を肯定するだけの人はつまらないものです。
> アリョーシャは相手の問題を自分のことのように考えることができたし、場合によってはあえて相手の意見を否定して核心に迫ろうとします。
> カーチャとのやりとりがそうですね。現代ふうに言えば、アリョーシャにはそれだけの大きな器があったということでしょう。
> 最初の章を見れば幼いころから誰であれアリョーシャを愛さないものはなかった、そういう説明があったかと。
> 小説としてはありがちな設定にみえるので見逃してしまいがちですが、本編をとおしてみれば、実際アリョーシャが大きなギフトを与えられて生まれた人だとわかります。
-----------------------------------------------------------
まずこの前段の部分について
全部そのとおり。ただし、「アリョーシャが大きなギフトを与えられて生まれた人」
ここは異見あり。
ぼくは、アリョーシャとは自分自身だと思っている。盗み、犯し、働かず、人を愛さない、その自分が、それでもなおアリョーシャだと思っている。
思春期に最初に読んだ時から、例えばゾシマがアリョーシャに言う言葉はすべて自分に言われたと受け取ってきた。
ギフトというよりも、むしろアレクセイが振舞ったごとく振る舞えば、即時に自分がアリョーシャと同等になるんだと。
ゆえにすべてにおいてアリョーシャと同じように、その方向へ人生を持って行こうとした。
具体的なことが書いてないから、わかりにくいけども。 フョードルのようなみんなの嫌われ者もいい所がある、と思えるようになったらアリョーシャになれるかもしれない
ここでの意味は本当に心からという事
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