>>216

はっきり言うと、「日本社会は家父長制か否か」という考え方はほぼナンセンス。
「フェミニズムは本当は家父長制の解体を目指していない」という見方をする人もいるくらいだ。(柴田英里とか兵頭新児とか)
代わりにマスキュリズム含め、ジェンダー論界隈の間では「権力の根源は男(or父親)にあるか、女(or母親)にあるか」という考え方をするのが一般的。
ここで男にあるとする考え方をパトリアキー(あるいは男権主義、父権主義)と言い、女にあるとする考え方をマトリアキー(あるいは女権主義、母権主義)という。

マスキュリストの間では当然、この社会はマトリアキーであると考えられている。
マトリアキーは家父長制とは完全に並立する考え方だ。
例えば、専業主婦的結婚観における「お小遣い制」って知ってるか?
すなわち夫側だけが稼いでいるのにも関わらず、夫側は昼間やっていける最低限のお金だけを妻側から渡され、残りの稼ぎ分は全て妻側が使ってしまうというものだ。
これでは「金銭を稼ぐ」という意味での権力は夫側にあるのかもしれないが、「金銭を使う」という意味での権力は完全に妻側にあることになる。
フェミニストらは権力を基本的に「金銭を稼ぐ権力」という意味で使っているから「この社会はパトリアキーだ」と考えるけど、「金銭を使う権力」で考えれば、完全なマトリアキーであろう。
そのお金はやがて消費社会に流れる。「金銭を使う権力」が妻側にあれば、消費社会は妻側を優良顧客として持て囃すわけだ。
それが結局、女性専用車両やレディースデーといった施策に繋がっている。