>>601
厳密に言えば、それはオーウェルが『1984年』という小説で描いた二重思考じゃない。
政治っていうのは、自分を棚にあげて(忘れて)他の政治家や勢力を批判する行為でもある。
大昔からそれは続いてきたけど、彼らはほんとに主張と行動の齟齬を忘れてるわけじゃない。
もし忘れてるんだったら、世界恐慌はこれまで5回くらい起きてると思うし、
世界大戦は2度で終わらなかったろう。
それは政治における、あたりまえの手法なんでふ。

でも、昨夜書いてた二重思考が、その延長にあるのもたしかだと思うよ。
オーウェルは二重思考、つまりダブルシンクを、全体主義国家が人民を支配するための
神経政治的手法として描いた。
だから恐ろしい本なんだよ。

国家や組織が、構成員をダブルシンクで縛ることは巨大な不幸を生む。
(『1984年』の世界では、「三つの超大国が永久戦争を行っている」という建前な歴史があるが
ほんとにそうなのか、そもそも他に国家が存在しているのか、
主人公たちが住んでいる全体主義国家がどのくらいの大きさなのか、
なにもかもあやふやで、疑わしい)

オレが昨日書いてて感じたのは、
こういうことは興味深いと思うし、同時に同情もしてしまうということ。
その神経政治を己に敷いて/強いてしまわなければならぬ、
彼女ら/彼らが置かれた情況だ。
つまり、生存に関わっている問題だということさ。
生存に関わっているので、どうにもならない、ということかもしれない。