>>336
作家によっていろんな文体があるのは、その文体によってしか伝えられないことがあるからです。
脳みその中に書き言葉が再生されるとき、親密さが生まれる言葉のリズム、
気取った表現、冗長さ、間、イメージの連鎖、たとえ話の奇矯さ、ユーモア、
そういう大事なものは簡潔さのなかからは生まれえない。
つねに言っているように、細部にこそ神は宿る。

オレの文体は、オレを理解ようと努めるひとの脳裏にオレの言葉が再生されるとき
どうしても必要なものなのですな。
文体が合わない人もいるだろうし、合わない人にはいまはまだオレが必要ないってことです。
だからいまのあなたにオレは不要なのですよ。

あなたがオレを理解したいから簡潔に書けと言っているのであれば、
そこにはオレは影すらない。
あなたがオレにマウントしたいから簡潔に書けと言っているのであれば、
あなたにはマウント遊びしたくなるほどの親しみも利害関係も感じないから時間がもったいない。

オレは書きたいことを自分の文体で書き、
自分がいま好きな人と未来の誰か以外どうだっていい。
だからなにも変わらないでしょうなw