>>337
> そして評価されない限り、人間は自らの行いに正当性を感じられなくなってしまってきている。それが心に閉塞感をもたらし続けている。
> だが、そもそも、その評価とは誰の基準で考えられたものなのか。だれの為の評価なのか?

そうですね。誰のためのものなんだろうか。
そう思うことはありますが、「評価」「分析」ってのは太古の昔から人間がやってきた営みです。
社会を作れば、ひとは必ず他者からの「評価」「分析」にさらされる。

一方で、魂の中には無限の自由がある。
いかに他者から見下されようと、心は自由に生きることができる。
心の自由だけで人間は生きていくことはできないが
(社会のサポートがなければ餓死してしまう)
そこに軸を置いて生きていくにも、正当な自己評価を経て社会から独立せねば誰かの奴隷として生きるほかない。

人間として生きるのは、とても自由で不自由なのでしょう。