蜂子が面白いというのでちょっと書くけれども、

「個のポテンシャル」にもいろんな在りようがあると思いますよ。

たとえば、芸術家として生きるとき。
ゴッホなんて生前はほとんど評価されなかった。
生きてた時に売れた絵は1枚しかなかったっていう有名な話があるくらい。
彼は自分の個のポテンシャルを、その作品にすべて分け与え死んでいったのですよな。

スティーブン・フォスターっていうオレの好きな音楽家がいるけど、
彼も生前は極貧の中で曲を書いていた。
「おおスザンナ」とか「ケンタッキーの我が家」とか「夢追い人」を書いたひと。
「夢追い人」は彼が最後に書いた曲で、ここに彼の個のポテンシャルの最後の火がすべてつまってる。

Beautiful Dreamer
https://youtu.be/seGlA3vhZrk

芸術家だけじゃなく、家庭人として、組織人として、テロリストとして、みたいに
いろんな個のポテンシャルはありうる。
いかにシステムに従属してるように見えても、それを変えようとする意志を持っている人もいれば、
いかにシステムに反抗してるように見えても、システムを強化することしかできない人もいます。
俯瞰して自分の位置を探る力とそこで得た知見を自分にどうフィードバックするかによって変わってくる。

たとえば自分を世界のいまどこにいるか、
あるいは、歴史のどこにいるか、自分の為すことがどれだけのひとびとに影響を与えるか、
彼らの個のポテンシャルにどう作用するか、その見極めができる力、この想像力が大事だってことだと思う。