自分は失踪当初からずっと事件性を疑っていた。
ついに遺体が発見されてからは、「意外だが、やはり自殺だったのか」と
考えを変えつつあったが・・・
しかし、あらためて再び考えてみると不可解な思いを払拭できない。
釧路の事情通が書いている、漁師たちが一ヶ月間も漂流遺体に気がつかない
ものなのか?という疑問には頷いてしまう。

遺留品も発見されていない。
入水場所と思しき地点が推定され そこにポシェットなどが置かれていれば
よいが、道を外れた草むらにでも放り投げてあったら話は別だ。
もしかしたらポシェットも肩にかけて入水?
靴もスカートも脱げていない腐乱遺体からポシェットだけはすっぽ抜けた?

だいいち肉は腐乱してほぼ崩落したような遺体では外傷の有無などはもう
判定が困難だろう。
その遺体が発見されるやいなや早々に、事件性は無い?自殺とみえる?
もし入水の予断があったなら、早くに近海の大捜索をすればよかったろう。

失踪一ヶ月の節目に札幌駅前でまでビラ配りをして情報を求めていた。
まるでまだ旅をしている恐れもあるかのような読みとは、いったいどのような
考えに基づいてのことだ? あまりにも素っ頓狂でマヌケな捜査ではないか?