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「九州新幹線建設促進期成会」は新鳥栖駅というより整備5線が決定(1973(昭和48)年11月13日)されるより前の、1970年4月1日に発足している
 “全国新幹線鉄道整備法、第七条第一項の規定に基づき、新幹線鉄道建設に関する整備計画を別紙のとおり決定する 昭和四十八年十一月十三日 運輸大臣 新谷 寅三郎
そして牟田秀敏が鳥栖市長になったのは、1999年3月15日

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鳥栖市議会 平成13年3月定例会 03月08日午後1時〜
次に、九州新幹線新鳥栖駅、鹿児島ルート、いよいよこれは市長を先頭に本当に議会、市民、官民一体となった努力のたまもので、この新幹線新鳥栖駅の設置が決まったわけですが、

鳥栖市議会 平成14年3月定例会 03月08日午後1時〜
また、平成11年12月を皮切りに、九州新幹線新鳥栖駅設置に向け、市長みずから、当時の与党整備新幹線協議会座長である小里代議士初め、当時の運輸大臣、鉄道局長等に何度も陳情をなされておりました。
その後、その会議ではさしたる異論もなく決定する運びとなりました。それは市長の強い意欲と九州の鳥栖市が全国から見ても、九州でも最も重要な位置であることのあらわれだと、私自身強く感じました。


【ラスト50kmの攻防】〈長崎ルート〉は停滞、描けないまちづくり
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1999年3月、自民党佐賀県議だった牟田秀敏氏(故人)が鳥栖市長に就任。
JR九州の【中原義廣】は鳥栖市役所に出向し、建設部次長兼新幹線対策課長に就いた。
佐賀県は鹿児島ルートでは地元負担の発生しない通過区間だった。
「新鳥栖駅が鹿児島ルートの駅として設置されなければ、鳥栖市の発展はない」。
そう信じていた【中原】は牟田市長に同行し、〈ミスター新幹線〉の異名があった故・小里貞利衆院議員(鹿児島4区)やリニア新幹線構想を推進した国鉄OBの野沢太三参院議員と精力的に面会。
「新鳥栖駅を、将来の長崎ルート建設を担保する意味を込めて鹿児島ルートの駅に追加してほしい」という趣旨だった。
 佐賀県は福岡、熊本、鹿児島各県と「九州新幹線建設促進期成会」をつくり、新幹線建設推進を繰り返し陳情。
 こうして東日本大震災の翌2011年3月12日に、新鳥栖駅は九州新幹線の駅として開業した。