これは自然言語処理というより国語学や
言語学に類する話題なのでスレチなのだが、
日本語処理の応用に関わってくるのでコメ
しておく。
たとえば「激しい雨」と「激しく降る雨」と
「豪雨」は同義だが、「降る」という述語が
出てくる場合と出てこない場合があるということを
どう解釈するか、という話がある。述語があると
ないでは、データ構造のレベルで違う、という
話になるからだ。
また「両国橋を渡る」「隅田川を渡る」「広小路から
向こう両国に渡る」は物理的な解釈としては同一
なので同義であるとみなせる(こういう立場を
外延主義という)が、「それって本当に“意味”って
謂えるのか?」という指摘が坂井寿秀先生などに
よって指摘されている。つまり、「明けの明星」も
「宵の明星」も実体(外延)としては「金星」なの
だから、「明けの明星は金星である」と「金星は明けの
明星である」と同義(単なるトートロジー)という話に
なるわけだが、そうすると「明けの明星は宵の明星
である」もまた同義ということになり、「それって
変じゃねぇか?」ってな話になる。