『月山』の冒頭に「ながく庄内平野を転々としながらも、
わたしはその裏ともいうべき肘折の渓谷にわけ入るまで、
月山がなぜ月の山と呼ばれるかを知りませんでした。」
という文章があるが、ここから主語を推定するだけでも
けっこう面倒臭い。
「ながく」は形容詞「長い」だから話者としての「わたし」が
主語で、連用形だから「庄内平野を」をすっ飛ばして「転々とし」
に係り、やっと出てきた「わたし」は「わけ入る」に係る。
ところが「呼ばれる」の主語は「月山」だが「呼ぶ」の主語(主体)は
「庄内平野に住んでいるの人々」であり、それを踏まえないと「その裏に」
の意味がわからない。
「こういうややこしい文章を “名文” と呼んでしまうのは いかがなものか?」
と思うんだが、これくらいは解析できないと実用にならんので、
どうしても「呼ぶ」の多義性(月山を、ただ「月山」と呼ぶのと
「月の山」という意味をこめて「月山」と呼ぶのとがある)を
スキームとして持っていないといけないことになり、
いまのところ途方に暮れている。