帰納とか演繹に分類しても実現可能な事の集合が増えるわけではない

人間の思考活動を分類しても
思考活動そのものが変わるわけではない

何のために帰納とか演繹とかに分類するの?
目的は?

光速一定を帰納的に発想したか
光速一定が公理だと分類したか
その結果によって相対論が修正されるものではない