初学者のため、言葉の定義があいまいな部分はご容赦ください

IOモナドの純粋性についてですが(すでに言葉があやしい)、
実際に副作用が起こるのは、mainに束縛され実行されたり、ghciプロンプトからアクションを投入したときで
アクションを生成するまでは同じ入力に対してはつねに同一のアクションを出力するという意味で純粋であるという理解でよいでしょうか(まだ実行前なので、副作用は生じていない)

アクションを生成するまでが純粋

ただ、このときの純粋性の有り難みがさっぱり分からず…

純粋な関数が遅延評価などに有効なことや、副作用のある処理が >>= などで順序を拘束しなければならないことは分かるのですが