書きやすいか否かという話より、rustは意外にタイピング量は多い思想は考え直してほしい。
std::fmtなどの「::」だとか引数名・変数の後の型の「:」だとか、むろんmutも、戻り値の「->」もなぜ引数の「:」と戻り値の「->」を同じにしなかったのか?思想面が分かる人に教えてほしい。
ほかにもなぜマクロ呼び出しに「!」をいちいち付けるのかとか、関数はfnやpubで省略しているのに?アトリビュートも#[xxx]と異様に見える。なぜ@xxxでは駄目だったのか?
まあセミコロンはC/C++からの移行を重視したのだろうけど。言語をディスってる訳じゃなく完全論破されることを願う