>>798
東急のシアル改札は最後まで自壊が入らなかったが当時の東急はフェアスルーシステム自体が導入されてなくてやりたい放題だったな

当時自由が丘に住んでいて対渋谷の回数券は財布に実需として常備していたが
この頃は束と私鉄間のノーラッチ駅が多く(小田原、厚木、分倍河原、高尾、東飯能、拝島、栃木、佐野、伊勢崎など)一方で電車特定区間の外だと結構噛まれたし近郊区間が今より小さく呪文が効くエリアは限られていたから束より噛まれる危険度が低い私鉄に逃げるとこともやっていた

河口湖から初乗りで入り新宿逝臨時快速きに乗って結構混んでいたから大丈夫かと思ったら、小仏トンネル辺り後ろから犬が来て(今では後ろからは考えられないが)別の客が絞られている間に高尾に近づいたので降り支度を忙しそうにやり京王に逃亡して難を逃れたのもいい思い出だわ、ここからのノーラッチルートも、明大前、下北沢、代々木上原、表参道、二子玉川と乗り換えを重ねてだったがこれも今は成立しない。