詩的な要素も鍵だろうな。
純文学は詩的な要素が強い。それが難しさを帯びて読み手の感性を問う一端にもなっている。
川端の作品の多くは「眠れる美女」の様な西洋的な構成の鞏固な作品もあるが、小説の形をした神経質で繊細な詩だ。ノーベル賞受賞時には本人はやんわりと否定していたが、和歌や連歌との関連を指摘されたりもしていた。
三島の作品の多くも、その格調高い理知的で絢爛な文体の効果も相まって詩の様な美しさがある。「金閣寺」「豊穣の海」等々
鴎外の簡浄な気品と強さは、そのまま当時の教育の下地に多く残っていた漢詩、漢文の素養に依る所が大きい。
昔の日本文学者が持つ独特の風趣は中国、日本の古典に通じている所に源がある。
興味深いのは谷崎。肌色が違っていて、古典の教養を踏まえた純文学の香りを纏いながら稀代のストーリーテラーで大衆文学の顔、愉しさも覗かせている。江戸の職人的な戯作者の生き残りの様な佇まいがあった。