>>301-305
 ソ連側も政治的理由(旧帝政軍将〜佐官)から余りおおっぴらに宣伝はしないが、
革命後もソ連赤軍にはブルシーロフ-スヴェチン-トゥハチェフスキー-シャポシニコフ等によって、
独自の戦略研究の流れは連綿として存続してる訳で、
「戦略」について、ドイツ流の軍隊の動きのみに限定し考える向きの多い日本では、
粛清の犠牲者でもある縦深作戦理論の提唱者であるトゥハチェフスキーのみが注目されがちだが、
その理論的基礎を築いた点では、言うまでもなくWW1の帝政ロシア最大の名将の1人であるブルシーロフと、
その戦訓研究を行ったスヴェチンの功績も捨てがたい。

 更にマルクス・レーニン主義の観点から、国家総力戦時代の政軍関係について、クラウゼヴィッツを逆手に取り、
「政治とは、通常とは異なる手段で行われる戦争である。」と喝破したシャポシニコフによって、軍人にとっての「戦略」の定義が国家戦略の域にまで広がった結果が、
プロイセン流の「軍事プロフェッショナル」として、兵站の限界を超えた無理な戦い、即ち国家戦略の破綻を看過し、
ただ近視眼的にキルレシオの様な些末な「戦略(戦術)」のみを誇るしか無かったドイツ将校団に対し、
戦術的被害をものともせず、戦後までを見据えた長期戦略を冷徹に実行したソ連将校団の勝利に繋がった。と言えようw