【陸軍】日本軍航空部隊パイロット総合6 【海軍】
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>>170
ただ自分の間違いを認めたくないだけでしょ >>167
>昭和16年に1万人パイロットを育成したからといって、そのまま全員が最前線にいけるはずもないし
>そっから分科もするしで、全員が戦闘機隊に来ません。
>てか卒業生全員がガ島に配備なんて
>>160
>米海軍では開戦時の艦上機3種、戦闘機、急降下爆撃機、雷撃機を1:2:1の割合で搭載している。
>艦上機のほかに水上偵察機や飛行艇もあるので戦闘機パイロットの割合はおおよそ海軍航空隊の総数の1/5程度であると推察できる。
>そして、緒戦の米陸海、海兵航空隊に共通していたのは少数のベテラン、中堅と大量の新米パイロットで飛行隊が構成されていた。
>もちろん、他にも教育航空隊で教員として勤務していたパイロットも多数存在はしていたが、
>開戦前から千人単位でパイロットを育成していれば、
>外洋で戦うことを前提としていた海軍と海兵隊ですら多くの新米を含めて400名足らずしか開戦1年で実戦に出せた戦闘機パイロットがいなかったという
>>154のレスのような事態にはなりえないというわけ。
誰も全員が最前線とも、戦闘機とも、ガ島だけとも書いていないことがわかった?すべて的外れだよ。
1941年12月〜42年12月の期間、太平洋戦域において米海軍、海兵隊戦闘隊が参加したすべての戦闘、
つまり、 真珠湾攻撃から始まり、ウェーク島、ラバウル空襲、珊瑚海海戦、ミッドウェー島、ガ島攻防戦など太平洋戦域で行われた海軍航空隊と海兵航空隊が参加した戦闘が
前線に配備された>>160で書いたわずか400名以下の米パイロットによって行われている。
開戦前から1万人のパイロットを養成しておきながら、
開戦からの1年間で米海軍と米海兵隊は太平洋戦線の前線に訓練学校を卒業したばかりの新米まで含めて400人しか送り出せなかったというのはどういう思考をすればできるのかい教えて欲しい。 >>172
ラバウル空襲とか
ニューギニア南北の戦いに関しては
基本的には米陸軍とオージー空軍の方が主力
ガ島方面の戦いはあくまでサブ
ニューギニア南北の
米陸軍・オージー空軍と
日本陸軍航空隊の戦いがあくまで主軸
オージー空軍の参加規模は結構大きい >>172
すまん。
読むのがメンドクサクテ、君が書いた部分の解釈は適当だから
気にしないでくれ。
とりあえず戦略爆撃調査団に米海軍戦闘機隊の人数が少ないんだから
おたくらが書いた昭和16年の米パイロット育成数は千人もいる筈がないと言ってくれ。
あと航空増強の教官や助教の数は渡辺洋二氏の本を参考にしてるから氏にも。
しかし初期の日本の航空兵は選抜しすぎだよね。
もう少し敷居を下げれば少しはマシになっただろうに・・・。
といっても戦争が始まらない限り、人事の関係で無理だったんだろうけど・・・。 >>163
アメリカがパイロットの大量養成を始めたのはWW2開戦直後。
だから昭和14年のこと。 >>175
上にも書いたけどルーズベルトが昭和13年に航空増員について提言している。
更に昭和15年、ww2によるドイツ軍のフランス侵攻により航空機の威力を知り
大増産宣言。そして大学生や高専生を青田買いし民間の飛行学校まで使いパイロット養成。
これらが翌年の1万1080人へと繋がる。 その1万人が17年では何処へ消えたのやら
>>172を読む限りは海軍や海兵隊はその大増員の恩恵を受けてなさそうだ。
陸軍が大増員されたのか、まだ育成中で前線に配備されてなかったのかな >>177
昭和16年パイロット11080人飛行機生産19455機
昭和18年パイロット82741人飛行機生産85898機
昭和17年のパイロット育成数は書いてないけど、飛行機生産数が47836機から考えると
4万人前後が育成されてるんじゃないかな。
これらの人数を育成するのに使われたんじゃない。
昭和19年には大した増加をみせていないので昭和18年以降の米軍の物量にも説明がつくかと。
てか読む限りとか言ってるけど同一人物じゃないの? >>179
4万人育成するのに1万人も教官が必要とは思えないが。
だとしたら米軍は効率が悪過ぎだな。
あなたは内訳も全く不明な数字だけ出して、その数字と当時の状況を符合させるような思考を全くしてないよね。 だから上にも書いたでしょ。
日本の場合、昭和19年2万人増強の際に
当時いた陸軍のパイロット7000人のうち4500人が必要だったので
これだと第一線が崩壊するので無理矢理削減してこれを当てたと。
米側の場合システムは分からないけど、そんなに日本側の数字と乖離するとは
思えない。
んで4万人育成だと9000人前後必要になるじゃない。
それで翌年は8万人育成だから180000.訓練で余剰になった
パイロットが大量に前線に出てきたのが昭和18年。
米軍の急速な拡張に繋がると私は考えてるんだけど
詳しくは分からん。
とりあえず昭和16年に11080人が育成されたのは事実で1000人単位での育成を
してなかったというのは間違いだよ。
>>180
多数の訓練機を含むよ。
生産期最多のB24の18000に比べてテキサンだけで15000も作ってるし。
もうメンドイからROM専に戻るわ〜 発端の>>146にはWW2勃発前とは書いてあるけど太平洋戦争前とは書いてないような・・・
それなら1939年以前の話だから昭和16年の1万人とは矛盾しないのでは? 日本は米軍より先に1000人単位の養成をしたというのを
出典を教えてくれと言ったのが事の始まり。
昭和9年の五ヵ年計画で6600人の増員を宣言している米軍より先に
日本が先だったというのは初耳だったから。
その後、>>154でガ島攻防戦までの米海軍パイロット数が少ないから
米軍は1000人単位での育成はしていないというのが出て今に至る。
てことで今度こそROMに戻る。 すまん。訂正というか付け加え。
×昭和9年の五ヵ年計画
○昭和9年の米陸軍航空隊の五ヵ年計画
あと昭和13年になると米陸軍航空隊は昭和16年まで航空機6万機増産計画を立てる。 陸軍の撃墜報告は実際の撃墜数と誤差が少ないけど海軍のはひどいからな。
何であんな違うのとか思うわ。明らかに虚偽としか言えないくらい盛って
るし。ソロモンにしろ343空にしろ台湾沖にしろさ。大空の侍で笹井中尉が
P39を3機落とした逸話も眉唾ものだろ。 ソロモンだと陸軍の方も事実誤認多数。
空戦の質が違うのかな。 穴吹さんが主脚だしたままハリケーン2機撃墜したっていう有名な話
失礼ながら正直なところ実際は誤認なんだろうなぁとか思ってたら、梅本さんの本で2機確実撃墜の史実ってことが分かってビビったな >>187
海に落ちるか陸に落ちるか、で確認のし易さ違うんでは >>189
それだとノモンハンでも事実誤認が多いからなんとも
ただノモンハンだと空戦の規模が段違いだったというのもあるからかもね。
分からないや。 銃撃加えて急降下で逃げられても全部撃墜なんてカウントしてたらそうなるわな
陸なら残骸がなければ考え直すだろうけど >>191
ソロモン方面といったら渡辺さんもまさにそのことを指摘してるね
攻撃受けたら即時急降下離脱して体制を立て直すF4FやP-40を日本海軍の操縦員は揃いも揃って撃墜判定してるって 降下離脱の敵機を墜落と勘違いしたのと、撃墜と思い込む希望的観測であった。それだけ
老練で沈着な搭乗員が減っていた
↑渡辺さんの記述。
ただ少し疑問なんだけど、ノ事変でのソ空軍に対しても
同じことが言えると思うんだけど、なんで大陸やビルマでは
それが少ないんだろう?(ままあったにせよ。)
残骸確認は一緒だろうし。 自分もそう思ってて、>>190に規模の違いかなと書いたんだけど
梅本本を読み返してたら
精鋭の11Fは到着早々のブナ侵攻でも誤認多数だったりするし
10機前後の小規模な船団防衛でも誤認したりするからよくわかんないや。
一番の原因は空中勤務者の疲労+熟練搭乗員の損耗なのかな?
ノ事変でも一日に何度も出撃して血のションベンが出たとか残存戦闘機パイロットが80名だとか
悲惨だったみたいだしニューギニアでも目薬さして飛んでたとか。。。 ソロモンで交戦していた連合国軍も同様に大量の誤認をしていたからなぁ
>>192の渡辺氏もそういう観点が全く無いのがな >>193ノモンハンでの誤認がすさまじかったのでそういう戦果確認を厳密にしてたとかでないかな。
まあ確認はできないけど。でも64戦隊とか何気にそういうのを厳密にしてた感じはある。 >>196
>ソロモンで交戦していた連合国軍も同様に大量の誤認をしていたからなぁ
対中援助に寄与したアメリカの「フライングタイガー」
フライングタイガーは「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」の略称であり、1942年4月に創設し、
1946年4月、戦争終了後に解散された。創始者はアメリカ人飛行教官の陳納徳(シェンノート)氏であった。
1938年8月、宋美齢の求めに応じて、シェンノート氏は昆明市の郊外に航空学校を設立し、アメリカ軍の基準
で中国空軍を訓練し、中国空軍の対日戦に積極的に協力した。
1941年、ルーズベルト政府のひそかな支持の下で、シェンノート氏は個人団体の名義で巨額の資金を出して
アメリカ人パイロットとエンジニアを募集した。その年の7月と10月に、200余人もの勇敢で危険を恐れぬ隊員たちが、
対日戦参加のために中国に来た。
31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機のP-40型戦闘機をもって217機の敵機を撃墜し、
みずからの損失はわずか14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」はフライング
タイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした戦闘機も世に名を知られるようになり、「フライングタイガー」
というニックネームも知られるようになった。抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、
積載量223万トン相当の船舶、軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。
また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。
10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。
http://japanese.china.org.cn/japanese/170095.htm フライングタイガースは懸賞金制度だからなぁ。
南寧では何故かピタリと戦果を一致させてる。 >>193-197
それって単に海軍と違って帝国陸空軍は編隊空戦ちゃんとやってたからじゃないの
海軍は精鋭でも好き勝手単機戦闘や格闘戦やっちゃってるから目撃者がおらん >>200
本土防空戦でも244Fの藤沢大尉の回想で
こちらは編隊がバラバラになるけど敵は崩れなかったとあるから
残念ながら日本にはロッテが根付かなかった模様。
そこらへんは梅本本にも記述があった記憶。日本陸空軍のロッテ云々 >>200ほらそれをやってた343空が大嘘三昧だから。なんか仲間同士で虚偽を許容してた感じ。 >>202
米英みたいな事は出来なかったという前置きがあるが、64Fだとロッテ導入で未帰還率は下がったみたいな成果が梅本本にあるぞ
ロッテ、編隊戦、無線運用、地上誘導を積極的に取り入れていた陸空軍でこれなら海軍はもっとお寒い状況ですなぁ お寒いなんていったところで陸海軍で損害に差がないのでは陸軍は積極的に取り入れただけムダだったとより悲惨なわけで・・・
戦後、航空自衛隊のジェットパイロットになった人も「戦前の日本の編隊空戦?米軍に比べればお遊びレベルだった」と証言しているしな >>205
マジ、ちょっと読み返してみるわ。
ビルマ航空戦の方よね?
>>206
ビルマ方面のキルレシオを考えると
結構重要なファクターなんじゃないかなぁとは思う。
まぁ多分、一番の要因は対空監視網の構築の是非だとは思うけど。
本土防空でも大陸方面から侵入したB29の損失は、結構馬鹿にならない。
大陸から済州島までB29の侵入情報が逐一入ってきて、有利な位置取りが
できてたみたいだし。 >>207
ラバウルなんかもブーゲンビル島他多数に監視哨があって
空襲の30分以上前から情報が伝わったので展開する時間があったのは大きいね。 アメリカに比べイギリスの編隊戦闘が稚拙だったという事じゃないかな。
だから陸軍はそれに救われたと。 確かにオーストラリアのスピット相手でも零戦と隼は善戦していたな そういえばイギリス空軍って編隊戦闘がうまいという感じしないな。
本家のドイツよりもアメリカが異様にうまい感じ。 サッチウィーブにしても実はあんま使われてなかったという話もあった気がするからどうだろうな?
(あくまで理論上の話であって、実戦で使うには難しい&かえって危険過ぎるとかいうパイロットの談話をどっかで読んだ記憶) 神立さんの本じゃなかったかな
一証言を載せたものだね
一方源田の剣なんかを読むと
よく使われている
その頃には
特攻機を落とす作業ばかりになって
気が緩んでるので強力な戦闘機隊と
遭遇したら交差機動で対抗しろとか
通達が出されている ボイントンの戦記を読むと、ちょうど落とされる直前、僚機と「左右に交差しながらカバーしあった」とあるな。
これがいわゆるサッチウィーブなんだろ。 >>212
サッチウィーブは基本的に戦闘機同士がお互い
交戦するの前提だが
実際には
サッチも参加したミッドウェーのように
空母戦闘機の役目は基本的に相手の雷撃機・爆撃機を叩いてナンボだからなw
戦闘機同士の戦いなんて
全体ではオマケでやるようなシロモノだよ >>215
戦闘機が爆弾抱えてまっしぐらに突っ込んできた場合は >>210
オーストラリアのスピットは格闘戦を挑んでる。
日本側は罠じゃないかと疑うほど稚拙な戦闘を挑んで完敗してる。
日本側は戦闘での未帰還はなし
>>217
ビルマ航空戦読めばごろごろかいてあるぞ。 >>219
それはアメリカ相手だから、というより
ラバウルのように日本軍として迎撃体制が整っていた戦域だからではなかろうか。 >>220
そうだと思うよ〜
英軍が劣るというよりも日本軍の防空網がしっかりしていたんだと思う。
ただ米軍は強ひ。 >>218
そういうのは戦闘機本来の運動性発揮出来ないんだから単なるカモじゃん… 97式中戦車チハは、チンピラゴロツキ殺戮マシーンであって、米英独ソの機甲部隊と戦うための戦車ではなかった。
さらに言えば、中国人の敵は日本軍ではなく、中国人の脳に涌くウジ虫であった。
中国人の先天的かつ絶望的な知能障害は、P-51の航空優勢さえも台無しにしてしまった。 サッチウィーブは一撃離脱と真逆の速度を失うシザース機動するんだから積極的にやる意味が無い
日本機の方が優位とか速度が出てないのに高度も十分じゃないとかで振り切れない時にする程度だろ 安倍の女性の活躍推進の影響で
パイロットに女性を配置することに「踏み切る」だって
やだなーある日突然戦闘機が突っ込んできたら >>225
これ本当なの?
何でもかんでも採用すりゃいいってもんじゃないでしょ 安倍の「1億総活躍」ってやつはさ、何だか「1億総特攻」みたいで
俺は嫌いだ。もうちょっとマシなセンスないのかねえ。 むしろ昔の精神主義みたいなノリが好きで敢えて使ってんじゃないの…? ID変えて日付け変わるのを利用して自演しないでええよケンモメン。 >>229
>227を書いたのは俺だけど自演って何?
何でもかんでも自演と決めつける奴は2ちゃんに多いが俺は自演してないぞ。 むしろ進め一億火の玉だとか欲しがりません勝つまではとか気の利いたスローガンにするべき メジャーリーガー足らぬ足らぬは工夫が足らぬはいつの時代でも使えるし何気に良い言葉 渡辺氏って海兵出身者に良い印象もってないのかな〜? >>236
渡辺洋二さん?
あの人は、「無責任な指揮官」は嫌ってますね。
「芙蓉部隊」では実名あげて書いてます。 そうそう渡辺洋二さん。
特攻について兵学校出身が温存されとるから怒ったり、どちらかというと予学の方を
取り上げた作品が多い気がする。取材比率が予学出身者の方が多いからというのも
あるけど。 真珠湾攻撃で未帰還になった平野崟一飛曹ってどんな人物だったんだろう。
分かっているのは甲種1期だということぐらいで撃墜数も不明だけど板谷茂少佐
の2番機を務めたぐらいだから相当技量は高かったと思う。
もし終戦まで生き延びてたらかなりの戦果をあげてたかもしれないと思うと
非常に残念だ。 真珠湾攻撃に参加したパイロットならこれに少しはあるかもしれない。未見だが。
真珠湾攻撃隊隊員列伝―指揮官と参加搭乗員の航跡
今を去ること70年前、日本海軍空母機動部隊はハワイ・オアフ島の真珠湾を攻撃し、3年8カ月にわたる太平洋戦争に突入した。
本書はそのハワイ真珠湾攻撃に参加した日本海軍空母機動部隊の飛行機搭乗員に焦点を当て、総指揮官淵田美津雄中佐から各中隊長クラスまでの指揮官50人を中心に人物紹介をするものである。 ドキュメンタリードラマ「撃墜 3人のパイロット」の再放送
前編 4/9(土)14:30-16:00
後編 4/17(日)14:30-16:00 質問です
戦闘機のエースパイロットは撃墜数でわかりやすいですが
その他の偵察機や爆撃機や攻撃機では明確な戦果がわかりにくいです
良いパイロットかどうかはどのように判断されたのでしょうか? 操縦士の良し悪しなら戦場から戻ってきた回数じゃない? 偵察ならその成功率や報告の正確さ、爆撃機、攻撃機なら目標への命中率や損害の低さだろうね。 >>244-245
ありがとうございます
遠縁の親戚が海軍の軍人でパイロットの教官をされていて
戦時中はパールハーバーの空襲にも参加されたと聞きましたので興味を持ちました パールハーバーの作戦に参加とか、かなり練度の高い乗組員だったんだね 真珠湾攻撃のパイロットには練習航空隊を出てわずか半年程度みたいな若者も混じってるからそうともいえない。 五航戦(瑞鶴・翔鶴)は出来立ての新編成だから若輩が多かっただろ 開戦当時だって航空隊に配置されて半年も経ってたら十分に熟練搭乗員の扱いされるけどな
支那事変続行中で搭乗員の損耗は続いてたし、日米開戦睨んで訓練は厳しかったから飛行時間は十分に積み上げられた >>251
それは絶対にない。
開戦時の平均飛行時間や戦記での証言をみてもわずか半年程度の配置で熟練はありえない。 末期だったら、半年生き延びればベテランてのも分かるけど… 元零戦パイロットの原田要さん死去 真珠湾攻撃など出撃
ttp://www.asahi.com/articles/ASJ535332J53UOOB00G.html ボース墜落死
直前に操縦交代 元整備兵が証言
ttp://mainichi.jp/articles/20160512/k00/00m/040/138000c 昔家にあった陸軍名パイロットの本持ってたんだけど何処かに無くしてしまった
その中で陸軍で潜水艦5隻?だったかな沈めた人がいたんだけど思い出せん 確か坂口って御方だったかな?
戦後は自分で彫った仏像に毎日拝んでるって書いてあったのも覚えてる
思い出せん あとageでスマン 上坊良太郎さんの「五つの空」をようやく読んだよ。派手な表現とかはないけど、割と名文家じゃないかな。
それにしても、本当に自分の武功についてはひかえめで語らない人だ。戦友への思い、雲の描写が心に残る。
ただ一瞬の好機を逃すな、石橋を叩き過ぎては割ってしまうという表現は、やはり撃墜王だなと思った。 初心者スレより。
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1473686547/165-174
165 名無し三等兵 sage 2016/09/18(日) 11:45:21.39 ID:F853Bko0
旧海軍のパイロットだった祖父の経歴が簡易的に書いてある名簿のようなものを祖父の遺品から見つけたのですが、軍事に疎く調べてみてもよく分からないのでどの時期にどこで何をしていたかを分かるところで宜しいので教えて頂けませんか
http://i.imgur.com/lWrcSMb.jpg
173 名無し三等兵 sage 2016/09/18(日) 15:48:44.39 ID:F853Bko0
>>172
海軍に志願して操縦練習生に受かってパイロットになり、南方に行っている時に病気になったと聞いたことがあります。
戦闘機に乗っていたと聞いていたのですがアルバムには戦闘機と艦爆?の写真もあったのでどちらにも乗っていたということもあるのでしょうか?
http://i.imgur.com/rooV5bh.jpg
http://i.imgur.com/DkiIx5s.jpg
http://i.imgur.com/I0rNNUd.jpg 「ブラジル桜花会」いまだ消えず@ 脇田勅氏が特別寄稿
ttp://saopauloshimbun.com/%E3%80%8C%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E6%A1%9C%E8%8A%B1%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9A%E2%91%A0%E3%80%80%E8%84%87%E7%94%B0%E5%8B%85%E6%B0%8F%E3%81%8C/
「ブラジル桜花会」いまだ消えずA 特別寄稿 脇田 勅
ttp://saopauloshimbun.com/%E3%80%8C%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E6%A1%9C%E8%8A%B1%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9A%E2%91%A1%E3%80%80%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%AF%84%E7%A8%BF%E3%80%80/ 「ブラジル桜花会」いまだ消えずB 特別寄稿 脇田 勅
ttp://saopauloshimbun.com/%E3%80%8C%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E6%A1%9C%E8%8A%B1%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9A%E2%91%A2%E3%80%80%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%AF%84%E7%A8%BF%E3%80%80/ パイロットなら戦闘機が花形だと思うけど
戦果を考えると雷撃機が一番派手に思う
爆撃機は急降下技術は難しい割に被弾多いし、命中しても威力微妙で
しかも生き残っても末期は特攻隊にされてしまう報われない部署
やはり戦前の振り分け時の人気だと戦闘要員>雷撃要員>爆撃要員だったのでしょうか? 海軍に限れば
まずパイロットとそれ以外の2つに分けられ、
パイロットは単座=戦闘機と小型機と大型機(含む飛行艇)に分けられた
爆撃機は急降下爆撃機ができてからであり、だいぶん後
人気は戦闘機>2座水偵=水上戦闘機>陸上攻撃機>艦上攻撃機>艦上爆撃機>陸上戦闘機>飛行艇>2座水偵以外の偵察機>輸送機 >>266
小型の艦艇なら一撃で沈めることもできる雷撃は確かに華々しいが
命中率も帰還率もめっちゃ低いぞ〜 しかも1機墜ちると少なくても3人死ぬから
コスト的に見合うんだかどうなんだか >>267-269
ありがとうございます
陸上戦闘機の人気が後ろの方で意外に思いました ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています