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> 歴史上、ロシア軍の支配区域が最大になったのは第二次世界大戦後に他ならない。

ロシア革命の影響を恐れた連合国はシベリアに出兵。日本は領土的野心から列強国の出兵後も駐屯しました
http://heiwa.yomitan.jp/4/3341.html

1920年初め、内戦は大体において白衛軍の敗北が決定し、協商国はシベリアおよび極東から軍を引揚げざるを得なくなった。
しかし残念ながら、日本が自国の軍隊の引揚げを拒否できるような事件が発生してしまった。それは、赤軍のパルチザン部隊が、
ニコラエフスクで日本人数百人を殺害した事件だ。もちろんこれは恐ろしい犯罪であり、共産党は責任のあるパルチザンを裁き、
即座に射殺した。一方の日本は、このニコラエフスク事件を理由に、軍隊の極東への駐留を継続したほか、さらにはポーツマス条約を侵犯し、
北サハリンを占領した。占領している間、日本は極東から約70万立方メートルの木材、24万トンの石炭を持ちだしたほか、2000両以上の
鉄道車両と200隻以上の船を持ち去った。日本の極東占領による損害は、約3000万ルーブルにも及ぶ。当時の金額としては天文学的な数字だ。
日本が極東から撤退したのは1922年になってからのことだったが、北サハリンから撤退するのは、石油田および石炭田の開発権利を
得てからの1925年のことだった。日本の侵略は、ロシア極東の人々の記憶に長く残ることとなった。日本の学者たち自身もそのことを認めている。
http://japanese.ruvr.ru/2012_02_20/66495432/