第一次世界大戦について語るスレ 5 [無断転載禁止]©2ch.net
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いやほんと良く公開してくれたよねオーストリア国立図書館
この高解像やばすぎでしょ
著者も本職の超高級軍人だしイデオロギー性ほぼなしの軍事記録とか感動もの 大国のはずのオーストリア・ハンガリーが戦力にならなかったのは謎
日本が1944年以降一方的にボコられたのと同じか オーストリアハンガリーはブルシーロフさんにボコられたせいじゃないの ドイツ国民が飢餓に陥った戦争というイメージしかないわ
向こうの本読むと第二次大戦中の日本並みの飢餓状態
1918年12月のドイツ公衆衛生委員会は、
763,000人のドイツ人の民間人が飢餓で死亡したと主張した
1928年に行われた学術研究は、1918年12月の終わりまでの封鎖によって
引き起こされた病気で424,000人の死者を出した
戦前から肥料の多くを新大陸に依存していたのだから家畜を養えなくなり
脂肪とタンパク質の不足、栄養失調、結果結核や肺炎で死亡者続出
連合国側は悪化してもそこまで深刻化しなかった
第二次大戦でヒトラーがソ連侵攻したのもイギリスの海上封鎖が欧州全域にわたり
食糧・肥料が入らず支配地域全域で飢餓の兆候が表れたからと言われている。 ナポレオンの頃から大陸国家は同じ過ちを繰り返しているね
あの位置にイギリスが居て大陸国家が制海権を取らない限りイギリスには勝てない
イギリスを干上がらせるのが先か大陸国家が飢えるのが先かの勝負だ >>951
こっち貼れよ
Österreich-Ungarns letzter Krieg 1914 - 1918
Number of volumes: 15
http://digi.landesbibliothek.at/viewer/toc/AC01039112/0/ 1918. 5. 12
オーストリア皇帝の「カノッサの屈辱」
前月のオーストリア皇帝カール1世の秘密和平工作暴露に怒ったドイツ皇帝ヴィルヘルム
2世は、この日大本営のあるベルギーのスパにカールを呼びつけた。
その場でカールはドイツとの軍事同盟の強化と西部戦線へのオーストリア軍派遣を
約束させられ、軍事的に完全にドイツの隷属下に立つことを強いられた。
この屈辱的な事件をオーストリアの新聞は「まるでカノッサの屈辱だ」と書き立てて
カールの醜態を批判し、和平工作の仲立ちとなった皇后ツィタは「売国奴」と蔑まれた。
オーストリア皇室の威信は地に落ちたのであった。 てか続けんの?
ブツブツ一人でつぶやいてる人が飽きたらそれでおしまいなのに
1918まできてるし、あいつが続けたいなら続けろやでいいんでね? 俺は日報みたいのは全く読んでないけど第一次世界大戦スレ自体はあってほしい 作戦や戦闘のようす政治状況などは少し調べればいくらでも出てくる
むしろ銃後の市民生活や財政状況、戦傷者の福祉手当や市民への配給基準など
あまり知らないことを書いてくれれば価値もあると思うのだが
一人延々とつまらないことばかり書いてるから価値はない 別に日報はなくてもいいが、このスレがなくなるのは寂しい。 1918. 5. 14
チェコ軍団蜂起
旧ロシア軍所属のチェコ人・スロヴァキア人の部隊、チェコスロヴァキア軍団は、
チェコスロヴァキア独立承認を得るために、ロシアから西部戦線に移動しようとしていた。
しかしこの日、シベリア鉄道を移動途中のチェリャビンスクで、軍団所属の兵士が
たまたま通りかかったハンガリー人捕虜といさかいを起こして乱闘となった。
当地のソヴィエトは乱闘に参加したチェコ兵を逮捕するとともに、当地のチェコ部隊を
武装解除しようとしたところ、憤ったチェコ部隊は蜂起してチェリャビンスク市を占領
してしまった。
モスクワの全ロシアソヴィエト指導部はこれに激怒し、シベリアを通過中の全チェコ
部隊の武装解除を地方ソヴィエトへ指令した。
むろんこれにはチェコ部隊も武力で抵抗し、シベリア各地はにわかに騒乱の巷となった。
この事件はやがて、思いもよらない方向へ事態を発展させることとなる。 日報は俺も好きだ
同日付なのが特に気に入っている
書籍で見れば一瞬の出来事も、実際に日数をかけて展開していくと妙なリアル感がある >>968
なんであんなライト層向け本だしたんだろうなあの人 1918. 5. 16
フィンランド内戦の終結宣言
この日までにフィンランド赤軍の拠点はすべて掃討され、白軍は勝利宣言を行って、
内戦は終結した。赤軍と白軍の間には終戦協定その他の取り決めは行われなかった。
フィンランドは平穏を取り戻したが、ヘルシンキをはじめとする主要都市にはドイツ軍が
とどまり、フィンランドの地位は実質的にはドイツの保護国であった。 1918. 5. 16
日中共同防敵軍事協定
ロシア革命によってシベリアや北満洲のロシア領土・勢力圏内の情勢は流動化していた。
独露講和によってドイツの勢力がシベリアに及ぶのではないかという危惧、また共産主義
勢力がシベリアから中国へ浸透する危惧などが日中(中国は北京の中華民国段祺瑞政権)
両国によって共有され、この日日中共同で、満洲と、必要あればシベリアの治安確保を
目的とした軍事的協力体制を築くための協定が結ばれた。
しかし日本の真の意図はシベリア方面への日本自身の勢力拡大にあり、その動きは
シベリア出兵へとつながっていくことになるのだが――そこまでの話は本スレッドの範囲を
超える。 自衛のために軍拡していた国が他国を侵略し始めるのは歴史のお約束 1918. 5. 18
イギリス空軍のケルン空襲
この日イギリス空軍は D.H.4 軽爆33機をもってドイツのケルンを昼間空襲した。
この日は聖霊降臨祭の土曜日で街路には多くの人出があり、市の中心部への爆撃に
よって死者41人と負傷者47人が出た。 1918. 5. 19
最後の英本土空襲
この日爆撃航空団「ボゴール3(カゴール3の改名)」は、ゴータ爆撃機38機とツェッペリン・
シュターケン爆撃機3機からなる大編隊をロンドン空襲に差し向けた。
1.5トンの爆弾が市街に着弾し、死者49人と負傷者177人が発生した。
イギリス空軍も盛んに迎撃を行い、7機のゴータ爆撃機が撃墜された。
結果として、これが最後の英本土空襲となった。これ以降、爆撃航空団は地上作戦
支援に投入されることとなったのである。
この年の後半にはロンドンとパリに向けての大規模な焼夷弾空襲が企図されたが、
報復を恐れて作戦は実行されなかった。 この時代の航空機とかエースパイロットの話好きなんだけど、資料が少なすぎて困る。二次大戦だとスロヴァキアのエースの資料とかあるのに、一次だとフランス軍とかですら資料が無い。ジョルジュマドンとかググっても出て来ない そんなときにはノーマンフランク
OVER THE FRONT: The Complete Record of the Fighter Aces and Units of the United States and French Air Services, 1914-1918
https://www.amazon.com/dp/0948817542 >>980
中古でも7000円近いってよっぽど貴重な本なのかな、リストに入れておこう >>971
ユーモア小説 兵士シュヴェイクの冒険にも チェコ人とハンガリー人の喧嘩が
描写されていた。
作者の死去により未完となったことが惜しまれます。
第一次大戦を描きかつ日本語で読める文学作品ってだけでも貴重な存在。
作者が生き長らえ作品が続いていたなら オーストリア ハンガリー帝国の敗北
チェコスロヴァキアという独立国家の誕生までえがいていたのだろうか。 1918. 5. 21
アルメニア戦線の停戦破れる
バトゥーミでの講和会議は、アルメニアの強硬な抵抗によって遅々として進まなかった。
これに対してオスマン帝国は実力をもってアルメニアに城下の盟を誓わせるべく、
アルメニアの首府イェレヴァンに向けて進撃を開始した。
オスマン軍はアルメニア軍の抵抗を押し切って旧国境を超えた。 お それ岩波のやつかなぜか手元にあるわシュヴェイク
新スレ乙 一次大戦の物語だと「戦場の一年」が良かった。当時の塹壕戦の様子が良く分かるから資料としても良いし、お約束のように狙撃される新兵や将軍、ストレスで裸に目覚める同僚とか出てきてダレなくて面白かった 1918. 5. 26
グルジア・アゼルバイジャン独立
4月に「トランスコーカサス連邦共和国」の独立を宣言した南カフカスの諸民族であるが、
民族自決の原則に従ってそれぞれの民族ごとに独立国を建設することとなった。
この日、連邦議会は自らの解散を決議し、グルジアとアゼルバイジャンは独立宣言を
行った。2日後にはアルメニアも独立宣言を行った。
1920年にはソヴィエト軍が侵攻して南カフカスは再びロシア=ソ連領となるが、それは
このスレッドの話の範囲を超える。 1918. 5. 27
「ブリュッヒャー・ヨルク」攻勢発動
北部での攻勢が失敗に終わると、ドイツ軍は戦略的に価値のある目標を失ってしまった。
しかし兵力はなお余裕があり、アメリカ軍の到来前に何としてでも戦線突破を果たして、
講和の糸口をつかまねばならなかった。
アメリカ軍はすでに5月には戦線に到着しつつあった。急がねばならない。
攻撃はなるべく敵の防御の弱い場所を選んで行われることとなった。選定されたのは
「ミヒャエル」作戦突出部の南、かつてフランス軍のニヴェル攻勢が行われた区域であった。
この地域で突破ができれば、突出部はパリをうかがうこととなり、連合軍は必ずや
この地域に兵力を集中するであろう。そうすれば北部での再攻勢によって今度こそ
イギリス軍を海に追い詰めることができるに違いない。
兵力は29個師団、対するフランス軍は19個師団。攻勢は5月27日に開始された。
この地域を守るフランス軍は防御の経験に乏しく、多線防御の基本ができて
いなかった。ガス砲撃と突撃歩兵の突破の前にフランス軍はもろくも崩れ、前線に
露出していた大兵力が降伏して、戦線は無防備となった。
初日にドイツ軍は20キロ前進し、エーヌ川に迫った。 1918. 5. 29
スクラ・ディ・レゲンの戦闘
この日、サロニカ戦線において、前年の内戦を経て新たに連合軍に加わったギリシャ軍
初の攻勢作戦が実施された。
目標はテサロニキ北西の山岳部にあるスクラの町で、ブルガリア軍によって陣地化
されていた。
ギリシャ軍は3個師団をもってこれに攻撃をかけ、3日間の戦闘でここを占領・確保する
ことに成功した。
ギリシャ軍は、来たるべきサロニカ攻勢において十分その役目を果たせることを証明
したのである。 1918. 5. 30
ドイツ軍マルヌ川に到達
「ブリュッヒャー・ヨルク」攻勢はドイツ軍優勢に進んでいた。
この区域を担当するフランス軍のペタン将軍が死守ではなく機動戦と反撃による防御を
目指したこともあり、ドイツ軍は前進を続けて、この日1914年以来久方ぶりにマルヌ川の
線に到達した。
フランス軍の反撃は撃破され、パリに危機が迫っていた。 1918. 6. 4
バトゥーミ講和条約締結
首府イェレヴァンに迫るオスマン軍を前にして、ついにアルメニアは抵抗をあきらめて
バトゥーミ講和条約を承認した。
条約に従ってオスマン帝国の国境は東へ移動し、百万以上のアルメニア人が住む
領域が帝国領となった。
他のザカフカス諸民族もこの条約に参加し、オスマン帝国との戦争状態はようやく
ひとまず終止符が打たれることとなったのである。
オスマン軍は同時にアゼルバイジャンと協定を結んで同地に進駐し、バクーとその
油田を巡ってイギリス軍・ボリシェヴィキと争うことになる。(下記項目) 1918. 6. 4
オスマン・アゼルバイジャン協約
ロシアから独立を果たしたアゼルバイジャンはイスラム教徒が多く、オスマン帝国に
親近感を抱いていた。
オスマン帝国はこれを利用してカスピ海岸バクーの油田を手中に収めようとして、
アゼルバイジャンと協定し、国内への進駐を認めさせた。
また、オスマン帝国は南カフカス近辺のイスラム教徒から民兵を募って、
ボリシェヴィキやイギリスが狙うバクーへ進撃しようと企んでいた。
実はドイツはボリシェヴィキと協力してバクーの石油の割当を得ようとしており、
キリスト教徒の多いグルジアに進駐してバクーへ圧力をかけようとしているところで
あった。
バクーの石油をめぐって複雑な闘争が繰り広げられようとしていた。 (6 lゝ、_ .ノ ヽ、__ノ |!/
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|\ ´ ` , イト、
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