クラウゼヴィッツが何のギャンブルを想定したか知らないが、戦争はトランプゲームでもあり将棋でもある(あるいは、どちらでもない)
互いに相手の手札を見るチャンスはあるが、それが常に確実であるとは限らない
そして選択は必ずしもターン制ではなく同時多発的に発生しうる
こういう一見して極度に不確実な世界を合理的視点から観測して、自分の選択による未来の分岐を予測することを「運」とか「賭ける」と言ってしまうのは抵抗がある
敢えて言うなら「懸ける」の方が適当