>>196の続き

前述の島村司令官や藤井参謀長の考え(>>191-192)も
あの5月の時期、濃霧が多い気象の中、40隻の大艦隊を安全に誘導
することの至難さを念頭に置いたものであり、

また、7ヶ月に及ぶ過酷な航海の後、ウラジオストクへの最短航路を採らず、
更に半月に及ぶ航海を強いる負担を考えれば、常人ならば断念するであろう
との判断が働いた」

と解説しています。