名将などと持てはやされる山口多聞は、日本軍でも有数の電探教徒だった柳本柳作“蒼龍”艦長の主張を聞き入れず、あまり評判のよろしくない南雲忠一が「赤城と加賀に電探をくれ」と主張してます。
南雲提督が少なくとも部下の主張を聞き入れる度量の広さという点では優れていたということの証明になるのではないでしょうか。
実際、ミッドウェイでは霧に苦しめられましたし、奇襲を受けて大敗しました。
レーダーがあれば、と南雲提督や柳本艦長は悔やんだことでしょう。

某サイトにこのようなことが書いてありましたが、ソースがある情報なのかわかりますか?
事実なら南雲を見直すに十分な話で、ミッドウェーの敗北すらなかったのでは