上記により60年代は核前提、70年代は核、通常の併用、80年代は可能な限りの核戦回避となります。
ポイントはフルシチョフの失脚後、一気に通常戦力になった訳ではなく、10年かけて段階的に
非核戦への志向を強めていったのが判ります(70年代は過渡期)

そして80年代では軍事ドクトリンの主目的が核戦回避であり
その範囲はTVD内と想定し、その方法論として通常戦力の使用が台頭
その具体的方法としてTVDの主要戦力である方面軍により方面軍OMGが運用される
というソ連式の一連シームレスな流れが完成したのだと思います。

※このシームレスな流れは、政治と軍事戦略を繋ぐ「軍事ドクトリン≒戦略術」そして
軍事戦略と戦術を繋げる「作戦術」があり始めてできたのだと思います。