>>255 当面の社会機能を維持するために必要な人はどっちでもそのまま。留用という。
国府の大方針としては、とにかくさっさと日本に送り返せ、(中国史に散々ありがちなパターンとして)共産軍と弱者連合組まれたら目も当てられんって事で、以徳報怨を大義名分に概ね順調に送り出したが、
山西省当たりでは、地元軍閥が日本現地軍トップと組んで日本軍兵士を対共産戦に駆り出して、やばくなったら日本軍トップはずらかって、全員志願でしたと口を拭ったような例もある。
共産軍としては、(その場に居続けの留用は別として)もともと日本軍は反共で部隊単位では動きそうもないんで、個人単位で勧誘して、思想改造の上で組み込んだのが概ね。砲兵大佐相当まで行った人(日向勝)もいる。
例外として、第4錬成飛行隊が整備員・地上要員まとめて陸路で海を目指すうち、食料も資金も尽きたところで共産軍が接触して来て、是非もなく降伏してから、皆で食い扶持を稼げる職として、共産軍初の航空学校を設立した例もある。