>>399
グリンベレ−でも、自らの死をどう考え、向き合うのか考え込む者が少なくなった。
彼らにバ−ボンを奢って話を聞くと、指揮官と部下という垣根を越えた個人的な話になることも多々あった。
もちろんこの私も、あなたと同様、残り時間は全く限られている。

一度眠りについたら、もう二度と目が覚めない――それが現実となるのは、脅すわけではないが明日かもしれないのだ。

結局、ラオスの戦場でも令和の日本においても、この点での真理はひとつだけだと言えよう。
それは、死ぬタイミングは選べない――という事だ。

私なら、この真理をわきまえたうえで開き直る。ラオスにいた頃のような「自分に命中する弾丸の音は聞こえない。」
という一種の割り切りだ。

あとは、あの世に携行していく装備を集めるのみである。装備というと、何をまたと思う人がいるかも知れないが、
この場合における装備とは「いい思い出」という意味である。
少しでも多くいい思い出を得るために、必要に応じてカネを使い、人助けもしよう。
そのためには健康が大事であるため、必然的に総合ヴィタミン剤や適切な運動で健康を保つ事となり、結果として
健康寿命も延びてしまう。

以上のように最後の瞬間まで戦士として、指揮官としての誇りを失わないような生き様を貫けば、
あなたは羊としての100年ではなく獅子たる一日を選んだ男として、コンヴィニで会った幼女を含めた
後進諸君の記憶に残るであろう。
このように生きることができれば、この世でもあの世でも、あなたは「九死に一生」の「一生」側と
呼べるのは、言うまでもない。やれるよ、君なら――