>>432
兵曹長による刑罰はその後も続き、部下の兵士と義勇兵を「斬込隊」としてアメリカ軍に
特攻させ、生きて帰ってきた部下を「処刑」した。また、アメリカ軍からの投降を呼びかける
ビラを持っていたり、投降しようとした者についてもスパイもしくは利敵行為(戦前の刑法で
は罪となった)であるとして処刑を行った。兵曹長は守備隊の最高司令官として徹底抗戦の
構えをみせ、山にこもって戦うように住民に指示し、従わないものは処刑すると警告した。
た8月20日の処刑には地区の住民も命令に従い協力したという。住民の中には鹿山と共に
山に立てこもった者も少なくなかったが、戦況はアメリカ軍有利であることが明白であり、
またアメリカ軍は「(山から出て)帰宅しないと山を掃討する」と伝達[2]されていたうえ、
実際に久米島の実務はアメリカ軍政府が掌握しており、住民の多くはその命令に
従わなかったという。なお、当時の島には3000戸の住宅と7073名の労働人口があったという[3]。

守備隊は8月18日には一家4名を処刑したほか、さらには兵曹長が若い女性を連れて
(人質にしたという説もある)行軍していた一方で、物資を奪う目的で具志川村字上江
洲に住むくず鉄集めで生計を立てていた朝鮮人谷川昇一家(朝鮮名は不明)を住民と
部下に命令して8月20日に子供も含めて惨殺したという証言もあり、現在ではその事実を
示す慰霊碑があるという。この行為は日本が降伏した8月15日以降の出来事であった。
そのため、海軍刑法が禁ずる停戦命令後の私的戦闘の疑いもある。

いや、このくらい私物化してたんですけど。