さて日露戦争が始まった時、ロシア軍は既に砲身後座野砲を採用しておった。
しかし更新が間に合わず、極東では未配備だった。
一方、日本陸軍は砲身後座野砲を不採用にした。
そして会戦、徳利寺会戦では、日本軍が数に勝る砲兵火力で圧倒して勝利をおさめる。
この時、ロシア軍には新式野砲が届いておらんかった。
続く大石橋では、ロシア軍に砲身後座野砲が到着、野砲が初めて実戦で間接照準射撃
を行ったのじゃ。
日本側砲兵はこれに手がだせず対砲兵戦に失敗。
なぜかというにロシア軍はそれまでの暴露陣地をやめ遮蔽陣地を採用したからじゃ。
見えない敵砲兵を撃つノウハウはまだなかったのじゃ。
日本軍は重砲でせっかく間接照準射撃を成功させたのに遅れをとった訳だわな。