そもそもハルノート自体が日本に譲歩した内容だったが、
実はアメリカからのクソみたいな無理難題を押し付けられ続けていた外務省は
1941年11月の御膳会議にて「アメカスなんざとは話になりません。あいつら舐めてますぜ!ぶっ飛ばしましょう!」つって軍を出動する方向に誘導してしまっていた。
んで、何の嫌がらせか軍が出撃して3週間後だかの月後半にハルノートが届いて外務省は顔が真っ青になった。
外務省は内部で「もう軍出しちゃったよ…外務省は無能だって怒られるよ…時間的に止めようとしてももう間に合わない位置まで海軍行っちゃってるよ…」っててんやわんや。
彡(^)(^)「意訳して無茶苦茶に解釈すればええんやで。ヒロカスも軍のカスどもも博識なワイらと違って英語なんかわからんやろ」
というどこぞのガイジの一言で改竄、意訳、超訳を駆使して最後通牒ハルノートの完成。
かくしてなんの落ち度も無い軍部は勝てない戦争に向かわされて責任を押し付けられましたとさ。チャンチャン


って感じらしいから別に気が狂って戦争を仕掛けたわけじゃないゾ