>>124
努力にせよ運にせよ才能にせよ、そもそも現実を分析するフレームワークとして十分かどうか、という問題が
科学的な立場よりも、政治的な立場のほうが重要なんじゃないかな

「自分の権利を自分が独占的に使用することは、勝ったから/努力したから正当なのだ」という政治的主張が得かどうか、っちゅー話だと思うのです
少なくとも、若い世代は、それでは相互の協力関係は築けないし、現実的でもないと考えているんじゃないかなあ
「たまたま宝くじにあたっただけですスミマセン」って言ったときに「産んでやった親に感謝しろ!」とか「親戚じゃないか助けてくれよ」
みたいなドロドロした言説がさほど有効じゃなくて、「ふーんよかったね」で済まされる(ことになってる)しがらみの少ない時代になったのかもしれないし