>>254
もうちょっと言うと、インパール作戦支援に急遽投入された輸送機は、
元々成都からのB-29作戦支援用に配備されていた機体。
いかに米英軍とはいえ、いきなり100機以上の輸送機をポンと
派遣できたりはしない、たまたまそこにあったから急遽利用したもの。

B-29作戦はマリアナと成都からの二本立てで計画されて(計画自体は
成都作戦の方が早く、実際の出撃も成都からの方が早い。1944年6/15の
八幡空襲がデビュー。マリアナからの初出撃は11/24の東京空襲。
ちなみにインパール作戦は44年3月〜7月)

成都部隊(第20爆撃集団)とマリアナ部隊(第21爆撃集団)で縄張り分けも
してあって、満州や九州、中四国辺りまでは成都部隊の担当だった。
関東中部近畿はマリアナ担当。
でもインパール作戦に輸送機取られて成都からの作戦が思うに任せなくなり、
それでも成都部隊もプライドがあるから縄張り主張して頑張ったけど結局
八幡製鉄の操業停止には至らなかった。
末期には成都部隊も折れて縄張り消えたけど、八幡は生き残った。
広島や長崎・小倉辺りがあんまり空襲されてなくて、原爆の投下候補になったのも
大体同じ理由。