A-32(T-34)の成功をおさめ、、トーションバー式の(T-34M)をつくったハリコフ工場チームは
A-44駆逐戦車の開発をはじめた

これはメルカバ戦車のようにフロントエンジン式で、砲塔を最後尾に配置して
75mm 60°の傾斜装甲を持ち、107 mm戦車砲F-42を搭載というものであった
人民委員は1941年10月までにA-44戦車を試作をおわり
1941年11月までにテストを終えるように、と支持

それはうまくいけばグラビンの107ミリKV戦車の半年後には完成してる日取りだが
ヴォロシーロフ元帥たちはおおいにA-44駆逐戦車プロジェクトに期待していた
作業は継続されこのプロジェクトは大成功を収めましたが、戦争の勃発と
工場の疎開撤退により、この戦車の生命は絶たれた

フロントエンジンT-34というと何となく失敗兵器のようなきもしないではないが
とはいっても関係者はこの戦車を成功とみなしており戦後も同じレイアウト方式が
T54戦車コンポーネンツを利用してオビーエクト 416、SU-100M駆逐戦車として完成

イスラエルにのがれたロシア系ユダヤ人がオビーエクト 416の構想を完成させたのは
メルカバというわけです(イスラエル人はフルシチョフのユダヤ嫌いで旧ソ連出身者が多い)