>>527の続き

知恵をしぼった結果、決断したのが、
この索敵開始点の移動であり、
実際に翌8日の索敵では、

「なかなか発見報告がなく、もはや戦運に見放されたかと
考えていた。その時ぎりぎりのところで発見報告が入った。

直ちに攻撃隊を出したが、攻撃隊とともに突っ込む気持ちで
母艦は四戦速(30ノット)で急速南下した」
     (『戦史叢書(49)南東方面海軍作戦(1)』)p307