自分の信じたく無い情報は、手記でも記録でもウソ認定
いつものパターンだ
各種資料から時系列でまとめると下記の通り

0659 空母に主砲5斉射
0706 空母に主砲1斉射
0709 空母に主砲2斉射
0725 巡洋艦に主砲1斉射
0753 駆逐艦に主砲2斉射
0800 全軍突撃下令
0815 ★大和2号機射出
0822 戦艦に主砲電測射撃7斉射
0850 ★大和1号機射出
0912 集まれ命令
1145 長門1号機射出 レイテ湾偵察
1236 レイテ泊地突入中止電、北上開始

特に7時半から9時にかけては駆逐艦が襲ってきたり魚雷を避けたり戦艦を発見したりと大乱戦
針路もコロコロ変わっており、敵が前方にしかいなかった朝イチの咄嗟砲戦とは状況が違いすぎる

咄嗟砲戦時は後部主砲を使わなかったので観測機の準備を開始
わずか30分後には巡洋艦や駆逐艦相手に主砲射撃開始
この時点で射出準備作業中なら後部主砲を撃てず、準備が終わっていてもカタパルト上の飛行機が吹っ飛ぶから後部主砲は撃てない
どちらにしても都竹手記と全く矛盾はない

結局主砲18斉射、徹甲弾100発
毎斉射5.5発で前部2砲塔6門で毎回全弾出弾
演習では5、6発ごとに不具合が出てるが今回の戦闘は非常に順調だったと戦闘詳報が書いてる通り、終始前部主砲しか撃たなかったことの裏付け