スターリンの親友であるヴォシーロフ元帥の婿コーチンは戦車人民委員に席をもち
独裁者の取り巻き、インナーサークルにあった。情報部員を使って、評判が良いT34戦車
を内偵させた。そのためT34の詳細な技術データや戦闘記録を豊富に手に入れた

コーチンは「重戦車並みの装甲と中戦車の機動力をもつ戦車を作る」機運を察して1942年春
強制収容所からNVツィエツ技師が釈放させた。かれは1930年代にソ連初の多砲塔戦車をつくり
ドイツ人技師との接触でドイツのスパイとされ粛清で逮捕された
ツィエツ技師は拷問で自白させられ、過酷な拷問や強制労働と栄養失調で死ぬ寸前であった

もはや余命がないので与えられた開発期間は極めて短いものだったが、かれは5月中にまたたくまに
設計をまとめ上げた、KV戦車を軽量化しシャーシ短縮化したKV13である、31トン、速度も55キロと
T34並に向上した。ツィエツ技師はさらに改良を目指して試作車を走らせ、7月には息絶えた
とりあえずぽんこつKVより優秀なKV13シャーシをえて新型戦車の開発は軌道に乗った

42年秋、ツィエツの遺作KV13は「イォシフスターリン」IS戦車と改名され開発が推進されるときまる

レーニン記念日にチェリビヤンスク戦車工場の労働者はほえた
「しょくん!国父スターリンの記念日にあたり、われらは赤軍に世界最強の戦車を与えよう
ファシストを打ち砕く戦車、これこそが同志スターリンを名を冠したイォシフスターリン戦車である!」

群衆は「ウラー」と熱狂した。なんとしてもIS戦車は成功させねばならない重圧がのしかかってきた・・