>>167

しかし、だからと言って多発機を作ろうとすると、艤装が複雑になる、コストがかさむ、戦時だと量産に支障がでたり、飛行場などのインフラの整備も必要。


それが理由で一式陸攻を開発したとき、本庄季郎は『この要求だったら四発しかない』と意見したが、海軍の飛行場インフラがそれに対応できなくてあの設計になった。
日本で実用になった四発機はP-1まではすべて水上(水陸両用)機だったことからも推して知るべし。
勿論、深山/連山といった機体もあるが、とうとう陸上四発機戦時中に実用化することは出来なかった。
そういう歴史もあるので、一概に言えない部分もあるでな。