>>369
横からですが、それあまり具体的な話ではないみたいですよ。
「腹案」に関連してか連合艦隊では41年12月9日にセイロン攻略作戦の研究を開始しましたが、
同時に「腹案」に無いハワイ攻略作戦の研究も合わせて開始されています。

その後、海軍側のセイロン攻略作戦案に対して陸軍側の反対(戦力が無い)で沙汰止みとなり、
米機動部隊の蠢動に対するミッドウェイ攻略に伴う米機動部隊誘出と撃滅に方針が転換となりました。

要は「腹案」は開戦前の大雑把な方針ではあったものの、陸軍は戦力が無いため差し当たり実行する余裕も意思もなく、
海軍にしても開戦直後に全く関係ないハワイと合わせて研究を開始する泥縄だった上、
実際には米軍の機動攻撃に対して「腹案」を放り投げてしまい戦力と時間も永遠に失ってしまいました。

そして独伊の北アフリカでの方針も本来リビアの防衛が優先される防衛的なもので、
それ以上の東進は具体的に計画されることもありませんでした。
独伊の基本方針よりずっと攻勢的なロンメルでもせいぜいスエズやカイロまで行ければ御の字という程度の思惑で、
これも戦力的に実現の見込みが薄かったのは史実の通りでした。