>>185の続き

その”楽天的な”南雲司令部でさえ、

万が一の米空母出現に備えて、
索敵機を出し、第二次攻撃隊の雷装待機を維持し、
友永隊の基地再攻撃要請を受けても、すぐには受け入れず、
索敵機が先端に到達するのを待って、敵空母が居ないことを”確認”してから
爆装転換を命じたのです。

この経過を客観的に見れば、南雲司令部の作戦指導は「慎重」
という言葉がふさわしいでしょう。