>>340の続き

ここで、またまた登場の「南東貿易風」(>>131

6日の夜明け、レキシントンは日施哨戒のため12機のSBDを発進
させていますが、この時、風上に立つために南東に転針したのです。

さらに前日補給が完了できなかった艦艇の続きを実施するため、
そのまま南東方向に進み続け、0930時に再反転、北西へ向かっている。

山口大尉の大艇が米空母を発見したのは0800時(>>323)ですから、
彼らが発見したときは、北西ではなく、南東に向かっていた。
南東針路を南下と誤認するのは、まぁ仕方ないかもしれませんね。