南雲機動部隊の空母で一番多くの飛行機を運用できたのは加賀。大型の船体にくわえ三段空母時代が失敗作だったため優先的に改装された結果。飛行甲板こそ一枚になったが赤城は予算不足から改装が思うようにいかなかったとか。