>>890
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E5%B8%B8%E5%8B%9D%E8%BB%8D
オスマン帝国はデヴシルメ制で徴用されて強制改宗させたれたキリスト教徒の師弟からなるイェニチェリ軍団が大きな力を持つようになり、スルタンの存廃すら左右するようになったので銃砲が導入されても軍制の改革は進まなかった
1826年にスルタンマフムト2世が西欧式軍隊の導入を決定し、これに反抗したものを粛清してイェニチェリを解体することによって作られたのが「ムハンマド常勝軍」でクリミア戦争から第一次大戦までの戦争はこの新式軍で戦っている
(大モルトケも一時期プロイセンからオスマン帝国に派遣されて軍事顧問として働いている)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E3%81%AE%E5%85%B5%E5%88%B6
清朝も建国時から続く八旗軍制による満州族の支配体制が長く続いたので軍制は変わらず、19世紀に入ると太平天国の乱の混乱やその後の西欧の進出でそれまでの軍が陳腐化していることが明らかになり、1860年のアロー戦争で北京が占領される事態になってようやく軍の近代化が始まった
その後の日清戦争での敗北を経て新軍という近代的な軍隊を作ったけど今度はその一部の北洋軍が袁世凱の元で軍閥化し、辛亥革命で最後の皇帝溥儀を退位させている(その後自分が皇帝になろうとしてるけど)