ニューギニア方面ではさんざんの低評価だったP-39の、ソ連空軍でのエースだったニコライ・ゴロドニコフ談

「そもそも、戦いの最中に計器などはあまり見るもんじゃないよ。自分の飛行機が速度で勝っているか劣っているかは、計器なんかなくてもすぐに分かる。
だから私は、「コブラ」も「ヤク」も「ラ」もドイツの戦闘機にスピードで負けていなかったと断言できるのだ。」

「ドイツの戦闘機をだね、つまり「メッセル」や「フォッケル」を例に取ると、戦闘速度は最高速度よりも時速で80から100キロは低かった。
私の知る限り、当時のイギリスやアメリカの飛行機でも速度の差は同じくらいだったはずだ。西側の飛行機の速度差は、戦争中ずっとこれくらいで推移した。
一方の「ヤク」では、同じ戦闘速度と最大速度の差が60から70キロ程度で、戦争の後半になるとよりいっそう差が縮まった。」

「例えば、「コブラ」は「フォッケル」よりも速力で劣るだなんて、彼らは何でそう思い込んだんだろうね?実際にそんなことがあったのだ。
最初のうち、ドイツ人は自分たちが速度性能で勝っていると固く信じており、「フォッケル」で攻撃をかけた後にエンジン全開で離脱を試みる場合が多かった。
だが、こっちは彼らに追いついて、上から弾を「降り注いで」やる。向こうは煙を噴いたり蒸気を噴いたり大騒ぎだが、どうやっても振り切ることはできなかった。
私たちはすぐに、全力運転だけで逃れようとするとどうなるか、ドイツ人どもを教育してやったよ。
その後は「フォッケル」も、攻撃後の離脱とこちらの射撃から逃れる際には必ず急降下をすることにし、それ以外の方法を禁止した。
垂直面の機動性も「フォッケル」は「コブラ」より下回っていたが、当初は私たちに垂直面の戦闘を挑んできた。これも同じことで、すぐに思い知ったようだけどね。
やっぱり私にはよく分からないんだが、「フォッケル」が「コブラ」に垂直面で勝っているだなんて、一体彼らは誰に吹き込まれたんだろう?」