>>425
湾岸戦争の頃から米側に「日本は金だけは出すが血は流さない」と批判されていて、危険な地域へ派遣しろという圧力が存在した。
ニコラス・ブレディ米国財務長官に130億ドル払わされたのは1991年。
次の1992年に国際平和協力法・PKO協力法が成立。
その後PKOが始まりカンボジア・モザンビーク・ゴラン高原・東ティモールに派遣。でもこれらは全て「非戦闘地域」というお墨付きがある地区への派遣だった。
この時点でも海外からは「自衛隊は安全な場所でしか活動していない。不公平だ。」という圧力が存在した。
この圧力を受けて90年代後半時点で「自衛隊も戦闘に参加させられるかも?いや、自衛隊が海外で戦闘行動するのは違憲だ!」という話題がワイドショーで流れていた。

機関けん銃はイラクではなく「どこかしら危険な地域に派遣させられそう、しかもその際には野党やマスコミの批判にさらされてまともな武器を持ち込めないかも」という雰囲気の中で開発・採用された。
自衛隊は9.11が無くともどこかしらの戦闘地域に送られていた筈だ。