>>876の続き
また、南雲機動部隊の運用思想等が色々と読み取れます。
1AF時代の“旧戦策”の時点でかなりシステマチックな整備をしている模様や、
敵空母の存在を感知した場合は、艦攻主体で10機以上の大規模索敵を行っていること、

特に蘭印攻略時の第二次機動戦で南雲長(1AF司令部)は、
味方通信から敵空母の存在をほぼ断定して、
大規模な「敵空母捜索撃滅作戦」を下令し実行しています。
(『第一水雷戦隊戦時日誌』に記載あり、結果としては敵空母を発見できず。)

この内容はミッドウェー海戦で「こうするべきだった、何故こうしなかったのか?」
とよく言われる大半が既に網羅されていますので必見かと。

この作戦内容の大半が“旧戦策”で既に規定されていたものなのか、
その場で構想されたものなのかは不明ですが、
その内容の大半は、第三次機動戦のセイロン作戦命令でも採用されています。

等々何故か戦史叢書をはじめ有名書籍では、ほぼ採り上げられていないことが多々あります。