「ミッドウェー海戦以降、勝ち目のない戦闘が続いており、軍部には「アメリカに勝つ」という意識が薄くなっていた」

285名無し三等兵2021/08/11(水) 14:47:57.67ID:xJfawNO3
昭和18年(1943)9月30日の御前会議で「降伏して終戦という選択肢ってなかったんすか?昭和天皇が犬畜生なんですか?
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「アメリカに勝つ」という意識が薄くなっていた
昭和18年(1943)9月30日の御前会議で、「今後採るべき戦争指導の大綱」が定められ、千島からマリアナ諸島、ビルマに至るラインが「絶対国防圏」とされた。

これには、「勝ちにいく」よりも「守らなければならない」という認識が表われている。

実際、昭和17年(1942)6月の

ミッドウェー海戦以降、勝ち目のない戦闘が続いており、軍部には「アメリカに勝つ」という意識が薄くなっていた

と見ることができるだろう。

この「大綱」のもとで、マリアナ諸島のサイパンを中心とする防衛体制を、日本は強化した。

サイパンを押さえていれば、トラック、ラバウルの航空基地を強化することも可能になる。それによって、再び米豪遮断を試みて、ソロモン、オーストラリア方面の戦力を回復・維持する――。

これが実現できれば、米軍の本格的反攻を抑制して、対米戦争を仕切り直せるというわけである。

それとともに、機会を捉えて決戦を行ない、米軍を一撃してから講和に入ることを模索していたと思われる。

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