おおすみ以前には二次防で防衛庁内で全通甲板のCVH(ヘリ空母)を建造を決定するところまでは進んでたけど、60年安保による政局混乱や当時の海原治防衛装備局長の横槍で実現せずに終わっている
(陸軍出身の海原治は日本の国防は専守防衛に徹した陸上兵力主体で海空はできるだけ小規模にという主義で、海空の新装備にはことごとくと言っていいくらい反対していた)

おおすみ型は当時の防衛庁が出した最初の図案では巨大な格納庫の前後がフラットな甲板になっているという代物で、当時も軍オタ界隈では「これ絶対全通甲板にするつもりだよな」という意見が多かった