"1940年東京五輪"では世界初のテレビ放送が計画されていたが、欧州の戦争勃発で中止。
軍部は、五輪よりも建造中の航空母艦「瑞鶴」の完成を最優先とした。

高松宮宣仁親王が神戸艦船工場を訪れ、「瑞鶴」の工期を半年繰り上がらないかと発言。
3ヶ月の工期短縮が決定され、「瑞鶴」は真珠湾攻撃への参加が可能となった。
「瑞鶴」の工期短縮は、皇族が戦争に加担していた証拠でもある。