猫、フェレット、手押し車 ハリコフの地下生活は続く
https://www.theguardian.com/world/2022/mar/29/kharkiv-ukraine-underground-refuge-life
フェレットのドラコアとジンジャーキャットは、不安な停戦状態にある。ホームの向こうの犬はまだ2匹にヤキモチを焼いているが、ハリコフ駅に住む人間とペットは、1カ月以上経ってお互いに慣れたようである。
ホームの片側では、テティアナ・カプースチンスキーが24歳の誕生日に、自分が寝ている柱に風船をぶら下げていた。「前日はどんなことになるのかわからなくて泣いちゃったけど、結局みんな集まってくれて、一緒に祝ってくれたわ」
「シャンパンのボトルがどこにもなくて困ったの」と苦笑しながら、来場者にはインスタントコーヒーをフラスコで水出しで用意した。「ケーキは今でもお店で手に入るの」
数学と物理の教師であるカプースチンスカは、地下鉄駅の指令室を、子供たちのための保育施設と学校を掛け合わせたような場所にした。誕生日には、飾り付けをし、花束を用意した。
かろうじて1カ月前までは、お祝いにバーやレストランを選ぼうとしていた。しかし、戦争が始まって以来、爆弾や砲弾、ロケット弾がハリコフの中心街や住宅地を破壊し、何百人もの市民が犠牲になった。
これに対して、数千人の人々がソビエト時代の駅に避難し、生活は屋内や地下に大きく移動した。これらは冷戦時代に西側から住民を守るためのだが、今ではロシアから市民を守っている。
テティアナの弟、デニス(19)は「怖いのであまり外に出ません」と言った。彼は母親と一緒に、この戦争で最も激しい砲撃で焼け野原と化した北部郊外のサルチフカに住んでいる。
戦争が始まったとき、着の身着のままで逃げてきたのだから、もう家があるのかどうかも分からない。「開戦初日の爆発音はすごかった。団地が砲撃されていた。着替えて、書類を持って出て行きました」。
テティアナは、地下鉄の駅に入れるには大きすぎる愛犬に餌をやったり、一緒に遊んだりするために、日中に危険を冒して外に出ている。
先週の木曜日、市の北部でロケット弾の攻撃があり、食料調達の列に並んでいた人たちを直撃した。死者の1人は地下鉄に住んでいた女性で、ちょっと休憩に地上に出たところだった。
毎晩6時、夜間外出禁止令が発令されると、金属製の巨大なドアが閉まり、人々は比較的安全な場所に閉じこめられる。