ロシア軍は森林戦闘ユニットとのイタチごっこを続けるうちに、自分たちが少数の部隊に翻弄されていた事を悟り、
架橋部隊で橋をかけて代替ルートを構築。
ウクライナ軍は砲撃でこれを妨害しようとしたものの輸送部隊の通過を許してしまった。

しかしそのイタチごっこの間にウクライナ軍はキエフ防衛を固めており、もはやキエフを早期に包囲する事は不可能だった。
第35軍はキエフ近郊のイルピンを占領し、長距離砲撃でキエフを破壊しようと試みた。

第35軍はイルピンと合わせてマカリフを攻撃し、キエフの西方まで包囲を広げようとしたが、ここで待ち伏せに合い装甲車両に多大な損害を被った。
歩兵はイルピンへ戻る途中で吹き飛ばされ、北部方面の司令官も負傷したとされる。

ロシア軍はヴィーシユホルドでも占領地を広げようとしたが防御陣地に阻まれ失敗。多大な損害を受けた。
そしてイルピンでは市街地で1ヶ月に渡る激戦が続き、ロシア装甲部隊はボロボロになってイルピン攻略は断念された。
攻勢は行き詰まり、ロシア軍は徹底を選択。
ついにキエフ攻防戦は終わった。

私の私見ですが、やはり100kmの大渋滞を産んだ森林戦闘ユニットの活躍が特筆すべきだったと思います。
彼らが的確に車列を攻撃し、かつ破壊しすぎない事で、ロシア装甲部隊が「あと少し待っていれば燃料が来る」
と思って2週間を無駄にした事が致命的でした。

その2週間でゼレンスキー大統領が西側の支持を取り付けて対戦車火器を入手し、ウクライナ軍は防御態勢を固める事が出来ました。
ロシア軍はこの2週間でキエフを失っただけでなく、戦争そのものを失ったと言って良いでしょう。